こんにち和!西野です。
「後悔」はあなたの人生の歩みを阻みます。
しかし、後悔はきっと誰しもが経験するもの。
恋愛や家族にしても、
「なんで、あの時あんな発言してしまったんだろう…?」
「なんで、もっと寄り添えなかったんだろう…?」
特に恋人でもそうですが、何かを失った時ほど、人は今までの“当たり前”の大切さに気づき、後悔の念に苛まれます。
事実、僕も十代の頃、犯罪を犯して逮捕されたときには、ずっとずーっと、
「ほんと、バカだった。なんであんなことしたんだろう?」
などと後悔ばかりしていました。
いや、そもそも僕の過去の人生のほとんどが「後悔」ばかりしてきた人生でした。
だからこそ、後悔することで、どれだけ人生にとって悪影響であるかも存じ上げております。
ですから、もし後悔するクセを持ってしまっている方は、ぜひこのまま最後まで読み進めてください。
人生から後悔がなくなる日
そして、僕はやっと意識的に後悔することを手放せるようになり、人生の何もかもが変わりました。
苦しいことも、嬉しいことも、次から次に新しい出来事が流れ込んできて、普通の人では考えられないようなスピードで、人生(現実)が変わってきました。
まさか、自分が会社を経営して、今までの闇社会ではなく表の真っ当なビジネスで嬉しい結果が出せるなんて、想像すらできませんでした。
今、僕が主催させて頂いてるオンラインサロン『IYASAKA』に参加してくれている女性も、後悔に関係することで、このような気づきの投稿をしてくださいました。
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【エレベーターで驚愕のオバ様】
皆さまこんばん和。先日驚きの事件があったので、シェアさせていただきます。
わたしは、週末に結婚式の介添(アテンド、案内人)の仕事を某ホテルでしているのですが、その日、新郎を会場に迎えに行くのにエレベーターに乗っていた時のお話です。
(この間は割と急いでいます)
わたしは地下からエレベーターに乗っており、1階で数名のホテル利用者が同じエレベーターに乗り込んできました。
おじいちゃんとおばさまのペアがいらっしゃり、おばさまの方から『床屋はどう行ったらいいかしら』と聞かれました。
ホテルのエレベーターは向かい合わせに合計6基が動いており、どちら側に乗っているかで案内の方向が真逆になるので、ちょっと考えてから答えたんです、『出てから左手です』と。
で、別のお客様にも6階お願いしますと言われたので、6階のボタンを押しました。
ところが、床屋は2階だったもので、考えているうちに、ボタンを押し忘れ、2階を素通りしてしまったんです。
『あぁ…通り過ぎちゃった…どうしよう』と思った瞬間、
『2階通り過ぎちゃったじゃない‼︎どう行ったらいいかって聞いたら2階を押すのが当たり前でしょ‼︎』
『あなた、何を考えているの?、どこまで連れて行くつもり⁇』
『名前はなんて言うの‼︎まさか、ホテルの社員じゃないでしょうね』
『本当に役に立たないわね』
と、怒涛のごとく罵声を浴びせられました。
わたしも披露宴中で、時間が無いのと、この人とは関わりたく無くて逃げ出したかったのもあり、
『このまま下に行きますから、2階で降りてください』と自分の利用階で降りようとしちゃったんです。
そうしたら、
『自分だけ先に降りるつもり⁇ズルイ女ね』
『本当に2階に行くのかしら‼︎』
『あなた名前なんて言うの』
と言うので、諦めて2階までお連れしました。
もちろん、ありがとうはありませんし、わたしも嫌な気分で会場へ急ぎ戻りました。
でも、その後、以前学んだことを思い出しました。
そのおばさまは、わたしに2階のボタンを押すことを【期待】していたんだって。
そして、「期待が過ぎる」と、こんな風になっちゃうんだなぁと。
ボタンを押し忘れたのはわたしのミスですが、普段の生活の中で、期待しすぎていることがあることを気付かせて貰ったのかなと。
そもそも、自分でボタンを押せば行き先階には到着できるし、たまたま通り過ぎちゃっても、また戻ればいいだけの話で…絶対に行き先を知っていれば付けるはずだし、その時間は3分もかからないです。
それを相手に過剰に期待することと、自分の心に余裕が無かったら文句にこれだけのエネルギーを使ってしまうことになるって勿体ないですよね。
自分を振り返る良い機会にもなりました。
その事件の後、少し気分が落ち込みましたが、エネルギーのムダ遣いについて学ばせて貰い、心の余裕の大切さをヒシヒシと感じた出来事でした。
今までのわたしだったら落ち込む時間も長く、大好きな介添えの仕事さえも嫌になっていたかもしれませんが、こうしてIYASAKAに参加せて頂くことにより、少し捉え方が変わったかな、と思っています。
夜分の投稿失礼しました。IYASAKAのみなさまに感謝します^ ^
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かつての僕やこの女性のように、後悔ばかりしてしまう人というのは、この「落ち込む時間」がやたらと長いのですね。
いつまで経っても
「なんで、あのときこう言ってやらなかったのか!」
「あの時、もっとこうしておいたら!」
などと、もう過ぎた過去のことをウジウジ後悔するのです。
後悔ほど無駄なエネルギーはない
ですが、後悔ほど無駄なエネルギーはありません。
何かを考える、何かを思うということ自体、僕らはエネルギーを使います。
ですから、もうどうにも変えられないことを、いつまでも後悔するということは、これからの未来を変えていくためのエネルギーを全て過去にダダ漏れさせてしまっている状態なのです。
この「思考やお金もエネルギーである」ということについては、前の記事で詳しく解説しているので、ぜひ参考にして欲しいのですが、
↓
・驚愕…LINEで命が削られている?
その人の人生(一生)というのは、
「一番どこにエネルギーを費やしてきたか?」
で決まります。
例えば、昔の僕のように異性からモテることばかり考えている(エネルギーを注いでいる)人は、当然ながら、そのほかの事で何かを成し遂げることはできません。
これは恋愛で最初の「トキメキ」をした時ほど、分かりやすいですよね。
「恋は盲目」というように、誰かと恋に落ちたとき、人はその相手と自分のことだけに、ほぼ全てのエネルギーを注ぎます。
だから、昔の僕なんかは、次の日が朝早くから仕事で、必ず仕事のクウォリティに支障をきたすと分かりながらも、一目惚れした相手のために時間も体力もお金も、持ち合わす全てのエネルギーをその相手(と自分の関係)に注いでいました。
なので、そういう時期というのは、当然ながらその他の仕事や友人たちには手(エネルギー)が回らず、先に行くほど苦しい状況になっていったのです。
これは何も恋愛だけではなく、例えばネットビジネスでも、最初は「家族との幸せのために!」という目的で始めたにも関わらず、いつしか「ネットビジネスで稼ぐこと」が目的になって、家族との時間が煩わしくなって一家離散(いっかりさん)する人も実際に少なくありません。
それは他でもない「稼ぐこと」に自分のエネルギーを全て注ぎ、家族にエネルギーを廻せなくなることで、家族との関係が不和となるのですね。
後悔は人生を無意味なものにする
同じように「あぁ、あの時もっと…」という後悔するということは、自分の貴重なエネルギーを、もうどうにもならない過去にドバドバ漏らしてしまっているのです。
分かりやすく言ったら、バケツ(自分)に穴が空き、そのバケツに水(エネルギー)が新たに入っても入っても、ずっとその穴(後悔)から漏れてしまっている状態です。
そのような状態だと、せっかく新しく入ってくるエネルギー(出会いやチャンス、運など)も、全てそこにダダ漏れてしまうので、一向に人生(現実)が良くなっていかないのです。
つまり、かつての僕のように、何かにつけてすぐウジウジと後悔したり、過去の出来事に対する怒りをいつまでも根に持っては、頭の中で繰り返し恨むような思考のクセが付いている人ほど、人生はさらに苦しく行き詰まっていきます。
そうして、何もかも上手くいかず、さらに新たな後悔(負の念)を生み出すという恐ろしい連鎖に入ってしまうのですね。
だからこそ、失敗や恥をかいたこと、笑われたこと、過ぎたことに対して頭の中で後悔ばかりする人というのは、まず今すぐにその「後悔する癖」を手放すことが非常に大切です。
後悔ばかりする癖を手放すこと
じつは後悔というのは「癖(くせ)」なのです。
爪を噛んでしまう人のように、それは長年ずっと続けてきてしまった「癖」なのです。
つまり、後悔はその人の思考の癖であるということ。
それを冷静に理解することが、人生から後悔をなくす第一歩です。
ここで大事なのは、
「自分の思考や感情は『選択するもの』である」
ということ。
人は怒りや悲しみ、寂しさなど諸々の感情や、後悔や希望などの思考というのは、常にその瞬間に「選択」しているに過ぎないのです。
もし、あなたが何か過去の失敗や痛み(苦しみ)を後悔したときというのは、無限にある思考や感情の選択肢から、後悔を選択し、それに付随する感情を選んでいるだけなのです。
ですから、もし仮にあなたが一瞬「ブワッ」と後悔の念が湧いてきても、それを選択してウジウジ思い悩むことなく、その後悔をすぐに手放して、違う思考や感情を選択することができるということ。
繰り返しますが、あくまで思考や感情というのは「選択する」ものであり、後悔とはまさに思考の選択の「癖」なのです。
後悔と反省の違いが人生の質を決める
そして、自分の人生を、未来を明るく切り開いていくためには、後悔ではなく『反省』を選択することが非常に大事。
この後悔と反省というのは、似て非なるものです。
では、そもそも後悔とはどんな意味か?
後悔とは?後悔の具体的な意味
後悔とは、過ぎたことを後になって“悔やむ”ことです。
変えられない過去を思い浮かべ、
「あのときに違う選択(決断)をしておけば、今は違ったものになっていたのに」
と頭の中で何度も繰り返しその事象を再生しては落ち込むことを後悔と言います。
では一方で、とても大事な「反省」とはどんな意味か?
反省の意味とは?心理学における反省とは?
反省とは、自分の過去の発言や行動について、その可否(正しいものか?正しくないか?)や善悪(善いことか?悪いことか?)を考え「省みる」ことを意味します。
また心理学などでは、自分がしてきた思考や経験、起きた事象の関係性などに注意し、いま目の前で起こっている「問題の解決」を求め思考することを反省と呼びます。
ここで大切なのは、
後悔とは「頭の中で過去の失敗を繰り返し再生する」ことに対し、反省とは「今起こっている目の前の問題を解決するために省みる」こと。
このように後悔と反省は似て非なるものなのです。
そして、自分の人生や未来を切り開いていくなら、必ず「後悔ではなく反省」をする癖を付けていくことが大切なのです。
後悔ではなく反省をすることで人生が拓く
繰り返す通り、後悔とは「エネルギーを過去に漏らす行為」なのに対し、反省とは「過去を再定義し直してエネルギーを未来へと向ける行為」という明確な違いがあります。
つまり、あなたの貴重なエネルギーを、過去と未来、どちらに向けていくかの違いなのです。
そして当然ながら、人生を切り拓いていくためには、自分の持っているエネルギーを、過去ではなく未来の創造へと注いでいく必要があります。
そこで「反省」が大事なのです。
反省とは人生を豊かにするためのもの
つまり、反省とはあなたの人生を豊かにしていくための心強い武器なのであります。
ここで重要なのは「過去を再定義する」ということ。
この思考のクセを習慣化したら、あなたの人生はどんどん切り開かれていきます。
もし、短期的な近目(ちかもく)であまり変わっていない、もしくは行き詰まっているように思えても、長期的に見たら必ず善い方向へと切り開かれています。
実際に、僕は自分の半生を振り返ってみたときに、カラーギャングのころ、薬物中毒のころ、夜の仕事のころ、起業したてのころ、、
あらゆる場面を思い出してみても、その当時はもう必死で、常に苦しいと感じていました。
しかし、いざ今を基準に長い目で見てみると、それらは全て必ず善い方向へと切り開かれてきていました。
だからこそ、今ではちょっと問題や課題にぶつかったり、少し流れが悪くなっても、全く焦らなくなりました。
「まぁ、そういう時期だし、長期的に見たら必ず善い方向へと向かっている」
という確固たる自信があるので、焦ることがなくなったのです。
どうしても、経験不足の頃の僕は、何事も少し思うようにいかないと焦って、周りに悪態をつき、不和と破壊を生み出していたのですが、、
今はもう「まぁ大丈夫だから」という絶対安心があるので、焦らず冷静に対処して、人生をより良く向上させられるようになりました。
後悔しない人生にするには?
ここで、あなたの人生から後悔を無くし、正しい反省をして未来を切り拓いていく方法をシェアしておきます。
それが先ほどお話しした「過去の再定義」です。
例えば、もし今すでに後悔ばかりしている事象があるとしたら、
「なぜ、自分はその経験をする必要があったのか?」
「自分の魂は、どんな大事なことを学ぶために、その苦しみを経験したのか?」
と考えていくのです。
例えば、僕の両腕には手首までビチリ刺青が入っています。
で、ある人達からすると、
「もうネット上でそういう刺青とか荒れていた過去の発言はしないほうがいいよ」
と言われるのですが、それは過去を再定義できていないからそうなります。
しかし、僕はこの刺青を入れた事実を再定義していて、
「今のように、多くの人に勇気の出る言葉を伝えていくために刺青を彫っていただいた」
と捉えています。
すると、普通の人にとってはマイナスとなる刺青が、僕にとってはプラスのエネルギーそのものとなるのです。
あるいは逮捕されたこと、薬物中毒だったことも、そういう「悪」を経験することで、人生を深め、悪に落ちている人を導かせていただくために必要だったのだと再定義しています。
人生にポールシフトを起こす
そうやって、どんなに嫌なこと、ムカつくこと、苦しいことが自分の身に降りかかってきたとしても、
「そこにはどんな意味があるのだろうか?」
「何を成し遂げるために、この経験をしたのか?」
「自分の魂は何を学びたかったのか?」
と考えていくクセを身につけていきましょう。
そういう思考の癖がつくと、だんだん後悔そのものをしなくなっていきます。
つまり、人生から後悔が消えて無くなるのです。
だからこそ、今までずっと後悔ばかりしていた僕の人生が、まるっきり180度ひっくり返ってしまったのです。
今まで犯罪や悪さばかり、破壊ばかり繰り返してきた僕が、今度は真逆に反転して、世の中に「光」を広げる人生となりました。
それはひとえに、
「過去の闇を光に反転させる」
という思考のクセが身に着いたからなのです。
このチカラが身に着いたら、間違いなくあなたの人生に最高のポールシフトが起こります。
つまり、どんなに暗闇でもがき苦しんでいる人でも、その真逆の光り輝く人生へと反転させることができる、ということ。
全てはどちらを「選択」するか?
ただそれだけなのです。
後悔の反対は邂逅
そして、ここで大事なのは、後悔という言葉を鏡で反転させると「邂逅(かいこう)」という言葉になります。
邂逅とは、「意図せず思いがけない出会いを得ること、偶然の出会い、巡り会う」ことを言います。
また同時に、人生において必然的に出会うべくして巡り会うご縁に対しても邂逅と言います。
そして、ニュアンスとしては後者の「必然的に巡り会う運命的な出会い」としての意味で使われる場合がほとんどです。
つまり何が言いたいのか?
というと、後悔ばかりしていては何にも先に進まないけれど、すぐに後悔を選択してしまう悪いクセを手放せるようになると、反対にあなたの人生には「邂逅」が訪れるようになるということ。
当たり前ですが、両手に荷物を持っていては、新しい荷物は持てませんよね?
同じように、過去のことに後悔ばかりしていたら、いつまでも新しい未来は手に入らないということ。
その間にも、どんどん新しい出会いやチャンスを逃してしまっているのですね。
過ぎ去ってしまったご縁にばかり囚われていたら、これから訪れる新しいご縁を得られないということ。
だからこそ、勇気を持ってあなたの人生から「後悔するクセを手放せる」ようになってもらえたら嬉しいです。
そして、今まで後悔していた(頭の中で再生していた)ことを「なぜその経験が必要だったのか?」と反省する思考のクセを身に付ける訓練をしていきましょう。
そうしたら、後悔していた頃が馬鹿らしく思えるほど、どんどん新しい出会いや体験が流れ込んでくるようになりますから。
後悔を乗り越えるための名言集
それでは最後に恒例になりつつある大好評の、僕の人生のバイブルである日月神示から、後悔を乗り越えるための、後悔に関する名言集をピックアップしてご紹介しておきます。
ぜひあなたの生きる糧としていただけたら幸いです。
喜べば喜ぶ事出来るぞ、悔やめば悔やむ事出来るぞ。
先の取り越し苦労は要らんぞ。
心配りは要るぞと申してあろうがな。日月の巻:第39帖
神は見通しだから心配するな。
闇やみの後あとには夜明け来る。手柄は千倍万倍にして返すから、
人に知れたら帳引きとなるから、
人に知れん様に、人のため国のため働けよ。それが誠の神の神民ぞ。
上つ巻:第2帖
この道はつらいなれど最後まで貫いて下されよ。
段々と良くなって来て、
こんな結構な道なのかと言う様にしてあるのだから、
何もかも国に捧げて、自分の仕事を五倍も十倍も精出して下されよ。下つ巻:第36帖
何事も「行」であるから喜んで行をして下されよ。
滝に打たれ、そば粉食って行者は行をしているが、
断食する行者もいるが、
今度の行は世界の臣民みな二度と無い行であるから厳しいのぞ。この行出来る人と、よく我慢出来ない人とあるぞ。
この行出来ねば灰にするより外ほかにないのぞ。今度の御用に使う臣民激しき行させて神移るのぞ。
富士の巻:第5帖
何事が起こって来ても先ず喜んで迎えねばならんぞ。
近づいて来るのは呼び寄せたからじゃ。こんな嫌な汚い物はご免じゃと申す人民もあるなれど、
それは皆己の心の写しではないか。内に無いものが外から近寄る道理ないのじゃ。
どんなものでも喜んで迎えると喜びとなる仕組み。
何事も一段づつ、一歩づつじゃ、
一足飛びは大怪我のもと。よく会得せよ。
扶桑の巻:第10帖
どこからどんな事出来るか臣民には分かるまいがな。
一寸先も見えぬほど曇って居って、
それで神の臣民と思っているのか。畜生にも劣っているぞ。
まだまだ悪くなって来るから、
まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。身魂磨けたらどんな所でどんな事していても心配無いぞ。
富士の巻:第3帖
ひつくの神に仕えている臣民、
代わる代わるこの御役つとめて呉れよ。今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。
この神示腹の中に入れておいてくれと申すに、
言う事聞く臣民少ないが、今に後悔するのが、
よく分かっているから、神はくどく気付けておくのぞ。読めば読むほど神徳あるぞ。
どんな事でも分かる様にしてあるぞ。
言う事聞かねば一度は種だけにして、
根も葉も枯らせてしまって、
この世の大掃除しなければならんから、
種のある内に気付けて居れど、
気づかねば気の毒出来るぞ。富士の巻:第2帖
始めは苦しいなれど、
何と言う結構な事であったかと、
皆が喜ぶ様になって来るのだぞ。先楽しみに苦しめよ。
ぎゅうぎゅうと、締めつけて目の玉が飛び出る事あるのだぞ。
そこまでに曇って居るのだぞ、烈しく洗濯するぞ。
可愛い子、谷底に突き落とさねばならんかも知れんぞ。
水の巻:第11帖
神は理屈ではない、理みちであるぞ。
生きた自由自在の、見当取れん絶対であるぞ。
只求めるより他に道ないぞ。
親呼ぶ赤児の声で神を求めよ、神に呼びかけよ。
総てを投げ出せよ、任せ切れよ。
神は喜びの光となってそなたに現われて来るぞ 。理屈の信仰に囚われると邪道、赤児心の理解が第一ぞ。
黒金の巻:第26帖
出し切って了しまうと味が無くなるぞ。
自分の力が隠せぬ様では大仕事は出来んぞ。取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下され。
地球という大船に乗って一蓮托生じゃ。
現在の仕事が御神業と心得よ。
不満を持ってはならん、そなたが招いた仕事でないか。
この道理分からねば迷信の迷路に入るぞ。五葉の巻:第8帖
右の頬を打たれたら左の頬を出せよ。
それが無抵抗で平和の元じゃと申しているが、
それは無抵抗ではないぞ。その心根をよく洗って見つめよ。
打たれる様なものを心の中に持っているから打たれるのぞ。
誠に居れば相手が手をふり上げても打つ事は出来ん。
よく聞きわけて下されよ。笑って来る赤子の無抵抗は打たれんであろうが。
これが無抵抗ぞ。
左の頬を出す愚おろかさを止めて下されよ。
世界一家、天下泰平じゃ。
極みの巻:第15帖
病むことは神から白紙の巻物をもらったことじゃ。
この巻物をどんなに読みとるかによって、
新しき道がひらけるのじゃ。神からの巻物を疎おろそかにするでないぞ。
碧玉の巻:第1帖
病む事は神から白紙の手紙を頂いたのじゃと知らせてあろう。
その白紙の手紙を心して読めよ。ありがたき神からの手紙ぞ、疎おろそかにしてはならん。
腹八分、二分は先ず捧ささげよ、運開けるぞ、病治るぞ。
月光の巻:第11帖
雨降らば雨を、風吹けば風を一ひと先ず甘受せよ。
甘受した後、処理して行かなければならん。受け入れずにハネ返すのは大怪我のもと。
何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならん事になるぞ。何か迫り来るのは何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。
内にあるから外から迫るのじゃ。
自分で呼び寄せているのじゃ。苦しみの神、因果の神を呼んでおいて、
不足申している者多いのう。自分で呼び寄せながら嫌がってハネ返す手はあるまいのう。
同じものでも表からと裏からとでは違うのじゃ。
同じ目で見ても違って映るのじゃ、心得よ。春の巻:第16帖
最後に:後悔の念が出てきたら
もし、何か後悔するような出来事があったとしても、それは「必要があって起こったことである」と理解すること。
この世界で起こる全てのことは、意味のないもの、必要のないことなど存在しません。
山も川も海も、そしてぼくらも、何もかもは「意味があるから存在している」のです。
同じように、もし何か苦しい思い、痛い思い、後悔するような出来事があっても、それは紛れもなく「必要だから」起こったこと。
なぜなら、「あなたがそこから大事なことを学ぶため」だからです。
人は体験によって、学び、成長し、ミタマ(魂)を磨いていきます。
そうして少しずつ、完璧な人間になろうとしていくのです。
ですから、
・なぜ、それが起こる必要があったのか?
・そこから何を学ぶべきだったのか?
と毎日、毎日、反省していくクセを身につけていったら、間違いなく人生が大きく開かれ、明るく光輝いていきます。
ぜひ参考にしてもらえたら嬉しいです。
それでは、今回は以上です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
弥栄ましませ
西野ゆきひろ