【清心洞察記 .13】Give & Love

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

つい数日前のこと。

 

深夜3時ごろまで

MTGが続いてたとき、、

 

フッと風のように

師匠〝北極老人〟が入ってこられた。

 

そして、

4時間以上

その場にいたスタッフに向けて

お話ししてくださった。

 

話の内容は

人が生まれてから一番初めに必要な修行

神様と人間の関係

守護霊の存在と霊格

魔にやられず〝神様の声〟を聞く方法 

この度の「神事」をはじめたキッカケ

その他etc..

 

ここでは書ききれないばかりか

12月に開催される

『伊勢参拝セミナー2022』

のセミナー内容にも

関わってくることでもある。

 

どれも衝撃的な内容なのだが

今日、書いておきたいのは

「信頼残高」

についてである。

 

というのも

この「信頼残高」という言葉は

よくビジネスシーンで使われるものだ。

 

信頼残高を貯めることで

それが売上げになるのだから

信頼を貯めることが大事だ、と。

 

確かに

これは一理ある。

 

が、あくまでも

これは

「自分が受け取るため」

という価値観が

裏にあることは

誰の目にも明らかだ。

 

そもそも

この資本主義社会

いや

過去4000年間で

作られてきた世界では

Give & Take

だ。

 

受け取るためにGiveをする。 

 

これが当然の価値観となっている。

 

それは「信頼残高」も同じだ。

 

つまり

困ったとき

何かをして欲しいとき

助けて欲しいとき

に手を貸してもらえるように

あるいは

自分のファンになってもらうため 

普段から信頼残高を貯めておけ、という。

 

これらは自明のことすぎて

改めて解説するまでもない。

 

しかし

師匠〝北極老人〟は

考え方が180度異なる。

 

いや

同じ次元に生きてはいなかった。

 

〝北極老人〟は

北極流一門をはじめ

ゆにわスタッフ(弟子)に対して

ずっと信頼残高を貯めている。

 

では、なぜ貯めるのか?

 

それは

〝その人が困ったときに助けてあげるため〟

なのだ。

 

もちろん

「あげる」などの言葉は

使われていなかったが・・

 

例えば

信頼残高が貯まり

「この人の言うことなら100%信頼できる」

という状態になることで

その相手にとって

多少、耳が痛いことだとしても

本人に一番必要なことを伝えても

「あの人が言うんだったら、、」

と受け入れられる。

 

この状態になることで

必要なときに

必要なタイミングで

必要な言葉を

伝えることができる。

 

もし仮に

その人が魔にやられて

考え方がおかしくなってしまった時も

〝北極老人〟に

「お前、魔にやられてるぞ」

と言ってもらえたら

「あ、オレ、おかしくなってるんだ」

と気づき

本来の自分を

取り戻すことができる。

 

しかし

もし、そこに信頼がなければ

人は聞く耳を持とうとしない。

 

だからこそ

〝北極老人〟は

 危ないときに助けてあげられるように 

 信頼関係を築いていく

という。

 

つまり

信頼残高を貯められたら 

「そのままいったら不幸になるぞ」

「その考え方は破滅の道だぞ」

「こうしたら御霊(ミタマ)は輝くぞ」

・・

そういった

盲点となって気づけていない 

本人にとって大切なこを

伝えてあげられるように

信頼関係を築くのである。

 

まさに

Give & Love

だ。

 

なんという

美しい生き方なのだろう。

 

これぞ

〝観音の道〟

である。 

 

確かに

思い返してみれば・・

 

ボクが魔にやられて

自分のことしか考えられず

周りの人間が

全員敵に見えたときにも

〝北極老人〟は何時間も

向き合って助けてくれた。

 

それは1度や2度の話ではない。

 

しかし

だからと言って

「お前のために

 これだけのことを

 してきたんだから

 返してくれよ」

なんて1度も言われたことはない。

 

そのかわりに

 いまだ、しあわせに

 辿り着けていない人たちを

 救ってあげなさい

というような言葉を

何度、言っていただいたことか。

 

しかも

それはボクだけに、ではない。

 

血がつながっていなくても

全員に対して

まるで我が子のように

してくださっている。 

 

ボクは

今まで数々の

成功者

有名人

ベストセラー作家 

人格者

etc..

などと呼ばれる人たちと

直接会って接してきたが・・

 

〝北極老人〟ほど

妻のために

弟子のために

仲間のために

まだ見ぬ誰かのために

生きている人を見たことがない。

 

だからこそ

ボクは心底、惚れている。

 

〝北極老人〟のような生き方が

できる人になりたい、と。

 

それでも

ボクはまだまだ

修行の道を一歩

踏み入れたばかりの身。

 

まさに

本居宣長の言う 

『うひ山ぶみ』
(初めて山に踏み入れる初心の身)

である。

 

だから

まだまだ自分の中に

カッコつけようとする自分

言い訳をして自己防衛しようとする自分

認められようとする自分

などの〝俗情〟が残っている。

 

しかし

〝北極老人〟曰く

それをゼロにしろ、

と言うのではなく・・

 

〝すべて神様に近づくための原動力にしなさい〟

 

という。

 

ボクたちは

なぜ人生を生きているのか。

 

神様に出会うためであり

神様に近づくためであり

神様と一体になるためである。

 

そのために

苦しいことも

楽しいことも

辛いことも

嬉しいことも

すべてが存在する。

 

それらすべてが

魂の栄養

つまり 

御霊(ミタマ)の恩頼(ふゆ) 

なのだ。

 

例外なく

これを読んでいるあなたも

そのために生きている。

 

神様と出会うため

神様に近づくため

神様と一体になるため

 

あなたは今日も命する。

そして、 

神様はあなたのすぐそばにいる。 

 

 

うつそみの世にある人の身体(からたま)は
あめつちひらく神の宮ぞなる
 

ゆきひろ