辛い孤独に耐える必要はない。あなたの人生から孤独が消える日

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こんにち和!西野です。

「すごく寂しい気持ちに襲われる時がある…」
「友達もいなくて一人孤独で寂しい…」
「このままずっと孤独に耐えていくしかないの…?」

現代では、そんな孤独に対する不安や辛い気持ちを持たれている方は、特に増えていることでしょう。

実際に、2018年から2019年にかけては、「孤独力」なる書籍がたくさん出版され、その多くがベストセラーとして大ヒットしました。

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※これまでにも孤独をテーマにした本がたくさん出版されている

 

ですが、、

実はこの「孤独力ブーム」は非常に危険です。

そもそも「孤独に耐える」こと自体が間違っていて、その後の一生を棒に振るう可能性が高いのです。

今回の記事は、孤独に耐えている人、孤独で寂しい・辛い人にこそ、絶対に最後まで読んでもらいたい内容です。恐れず真実を話します。

孤独とはなにか?

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そもそも孤独とは何でしょうか?

孤独とは、友達や仲間、頼れる身寄りもなく、ひとりぼっちであることを指します。

また、悩みや辛いことを共有する人がおらず「誰とも心の繋がりを持てていない」ことを孤独と表現します。

孤独を表す言葉としては「天涯孤独」などがあります。

では、今のあなたは、悩みや辛いことを相談できる人はいますか?

心から繋がっている存在はいますか?

とはいえ、、

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、本来「孤独」というものは存在しないということを、あなたには是非ともご理解いただきたいのです。

「孤独というものが存在しない!?そんなバカな!」
「だって、いま実際に私はこうして孤独だもん!」

と思われるかもしれません。が、順番にご説明していきますのでこのまま読み進めてください。

この記事を読み終わった後には、間違いなく今あなたが感じている「孤独感」が、あなたの人生から綺麗さっぱりなくなりますから。

孤独力の書籍が大ヒットした理由

はいえ、特に現代では「孤独」を感じる人が増え続けています。

だからこそ、孤独力の書籍が大ヒットしたわけですが、

ではなぜ孤独を感じる人が増えているのか?

それは紛れもなく、今の社会が「競争社会」そのものだからなのです。

競争社会による洗脳は、すでに僕たちが幼稚園や小学校から始まります。

その最たる例が「運動会」や「成績」と呼ばれるものです。

そもそも、今の社会(義務教育)では、

「成績が良い人間の方が優秀である」
「成績が悪い人間は劣っている」
「物事に優劣をつける」

という価値観を、僕らが物心ついた時から洗脳されていきます。

ですが本来、平和そのものだったかつての日本(縄文時代・古代日本)では、「競争」という概念がありませんでした

この宇宙にある万象万物というのは、何一つとして「同じもの」は存在しません。

同じ種類の植物にしたって、一つとして同じ形のものなど存在しません。

ですから、そもそも植物の世界では「競争」なんてものはありません。

もし学校の先生が、

「植物の世界でも、太陽の光を他の植物よりも多く得ようと競争している過程で、背丈が違うんだよ」

なんて教えているとしたら、その人は無知で恥ずかしい大人だと理解してください。

その先生は、見事「競争社会」という価値観に染まりきった人なのです。

植物の世界に「孤独」は存在しない

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植物の世界は、競争社会ではなく「共生社会」そのものです。

それぞれの植物が、それぞれの役割を持って共生しているのです。

そして、役目を終えた植物は、自ら葉を枯らして、また土の肥料となっていきます。

見事な共生社会を営んでいます。

そして、僕たち人間も本来は、競争ではなく「共生社会」を営む精神性の高い存在でした。

その代表が、古代日本の縄文やアイヌ文化だったのです。

最新の研究でも、縄文時代の各集落では調和のとれた争いのない「共生社会」を営まれていたことが、発掘された遺跡や化石で判明しています。

ですから、古代史の専門家の間では「理想文化である」が常識となっています。

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※中心に柱を据えて形成される縄文時代の遺跡跡

しかし、途中から一部の悪い人たちが支配や権力を望み、争いを起こし、自分たちの一族以外を隷属化させ始めたことで、今の世界である「競争社会」が出来上がりました。

当然、争いを好まない人々は、どんどん支配下に置かれ、奴隷のように扱われていきました。

ただ、日本ではギリギリ「戦前」までは、各集落や村々でそれぞれ独自のコミュニティを形成し、さらに全国で一つのコミュニティを形成し、みんなで助け合う社会を実現していました。

戦前の日本には「孤独」など存在しなかった

画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、戦後の高度経済成長期をモデルにしていますが、まだあの頃でも、その共生社会の名残りを見ることができます。

blank※戦後まもない東京家族の模様が描かれた「ALWAYS 三丁目の夕日」

ご近所さんたちはみんな仲良く、何かあるたびにご近所で集まって、ご飯を食べたりお酒を飲んだり。

それが本来の日本だったのです。

そのような「共生社会」だったかつての日本では、そもそも「孤独」というものは存在しませんでした。

しかし、今はどうでしょう。

特に都心部では、ご近所さんとは出来るだけ顔を合わせないようコソコソと生活し、可能な限り面倒なことには巻き込まれないよう、関わらないように生活しています

そして、お互い見栄を張り合い、どちらのほうが優れているか?

そんなことばかり考えて生きています。

すると当然、無意識に手を貸さなくなっていき、関わらなくなって、それぞれが孤独となっていきます

競争社会が生み出した孤独

まり「競争社会」こそが孤独を生み出す根本原因そのものです。

それはそうで、競争社会では、みんな他の人には負けたくない、そして勝とうとするので、何か良いことがあっても出来る限り自分たちで独り占めしようとします。

そこに「分け合う」なんていう概念は存在しないのですから。

だからこそ、近代のSNSなどでも、

「出来る限り、他の人よりもリア充・幸せだと思われたい」

という欲望心理で成り立っています。

そういう価値観・社会こそが、孤独な人を作り出していくのです。

孤独死は競争社会の成れの果て

の競争社会こそが、人々の心から「分け合う」「助け合う」という温かいものを奪い去り、新たな孤独死を生み出しています。

もしかつての日本のように、みんなで助け合い、分け合いながら生きる「共生社会」だったとしたら、そもそも「気付いたら孤独死していた」なんてことはあり得ないわけです。

なぜ人間関係に疲れるのか?

というと、その人たちはみんな「エネルギーの奪い合い」をしているからです。

自分が一番、優位に立ちたいので、みんな周りの人からエネルギーを奪おうとするのです。

もちろん、これは気をつけなければ知らずに自分もやってしまいます。

例えば、仕事ではエネルギーを与えられる人だとしても、家族からはエネルギーを奪う行為をしてしまう、というケースもあります。

もし、みんなで「労わりあい」「助け合い」の人間関係ができたら、そもそも「孤独」も「孤独死」も存在しなくなります。

ですが、現状は真逆ですよね。

国民からそういう「循環」という意識を消し去り「奪い合い」をさせるのが、悪の魂胆です。

奪い合うからこそ、低俗的な動物と化して、支配しておくことができるのです。

もし「助け合う」ようになってしまったら、力が強くなって自分たちの支配下において置けなくなるからです。

それが今の「孤独」を生み出しているのです。

仏教の「孤独ありき」は真っ赤なウソ

して仏教の教えで、

「独生独死 独去独来」

というブッダの言葉(とされている)があります。

意味は、

生まれる時も独り、
死ぬ時も独り、
来た時も独りで、去る時も独りである

【底知れないほどさびしいところが人生である】

というような意味です。

いやいや、んな馬鹿な!!

気をつけたいのは、今の仏教や宗教の九分九厘は、途中から教えを引き継いで伝えてきた”取り次さん”たちが、自分たちの宗派を大きく広げて権力を手にしようと走ってしまった中で都合よく作り出された教えです。

それこそが今のこのような悲惨な社会(世界)を生み出してしまったのです。

仏教では(全ての宗派ありませんが)、

「人生とは孤独な旅である」

という教え・価値観を伝えているのですが、それこそが洗脳そのものなのです。

本来、人生には孤独なんてものは存在しない(しなかった)のです。

ですが、こういった競争社会を正当化するために、支配したい人たちが「人生には孤独が当たり前である」という価値観を作り上げたのです。

もちろん、そのことを知らず熱心に勉強して、信じ伝えを広げてしまった人は数知れず…。

本来「孤独」は存在しないもの

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とても危険なのは、「人生には孤独がつきものである」という思い込みをすると、人々は自ら“本来は存在しない”孤独へと向かって進んでいくようになります。

これはスノボーや車の運転をしたことがあるなら分かると思いますが、人は無意識的に「視線」の方向に進むようになっています。

ですから、例えば車の運転でよそ見をしていたら、そのよそ見をしている方向に、無意識的にハンドルを操作してしまうのですね。

(そうやって僕は十代の頃、脇道を歩いていた女の子達を見ていて、縁石に乗り上げた挙句、赤信号で止まっていた前の車のカマを掘るという赤面事故を起こしたのはここだけの話です。)

同じように、「孤独というものが存在して当たり前である」という思い込みそのものが、他でもない自らを孤独へと向かわせる最大の原因でもあるのです。

ですから、ここであなたにぜひ理解していただきたいのは、そもそも人生には「孤独などというものは存在しない」ということです。

なぜ人は孤独感を感じるのか?

「そんなこと言ったって、現に今こうして孤独を味わっているじゃん!」

と思われる方もいるかもしれません。

そうですね、分かります。

僕もずっとそう思って苦しんで生きてきましたから。

「畜生、みんな見てろよ!」
「ぜってぇ認めさせてやる!」

そんなことばっかり考えて生きてきました。

ですが、やっと真実を知ることができたのです。

それは、

「自分は決して一人ではない」

ということを。

そもそも、「友達」というのは人間だけではありません

例えば僕は部屋で飾っている「小鉢の松」もお友達です。

あるいは、家の前にいる太い桜の木々も、僕にとっては大事な大事な友達です。

つまり、そもそも僕らはみんな同じ世界で生きているのだということ。

草木、動物に到るまで、みんなあなたと同じ一つの世界を共有して、みんな一緒に生きています。

まずはそのことに気づくことがスタートラインです。

いきなり「孤独」から抜け出せはしません。

ひとり一人、それぞれの成長スピードは違いますし、ひとっ飛びで人生が変わることはあり得ないのです。

一歩ずつ、一段ずつ。

そして、孤独から抜け出す第一歩が「みんな友達」ということに気づくこと。

孤独な人生から抜け出す方法

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まずは、存在しているあらゆるものは、みんな自分の友達なのだということ。

あなたが使っているスマホも、洋服も、コップも箸も、みんなあなたと一緒に生きる友達です。

騙されたと思って、今は聞いてくださいね。

本当は、みんなあなたの友達なのです。

僕のアップルウォッチも僕の友達ですし、他でもないあなたも、僕にとって友達です。

みんな友達です。

もっと言うと、本当は「みんな自分」なのです。

つまり、何か悪さをしてしまう人も、素晴らしい活動をしている人も、みんな自分なのです。

あなたの家族もあなたの一部分であり、学校の友達や会社の同僚も、実はみんな自分なのです。

だから、もし誰かが汚染水を海に流せば、それはあなたが地球を傷つけたことになるのです。

全てはあなたなのです。

太陽も、川も、山も海も、鳥も雲もみんな自分なのです。

まずそのことに気づき、小さな自分へと押さえ込まされていたことに目を覚ますことが、孤独から抜け出す第一歩です。

孤独に耐える必要などない

うして、もしあなたが「大きな自分」へと返る(目覚める)ことができたら、あなたの人生は目まぐるしく変化していきます。

そもそも、「孤独に耐える」ことが間違っています。

なぜなら、元からあなたは孤独ではないからです。

小さな自分とそれ以外を「分けて」考えてしまうから、大きな自分の意識に戻れないのです。

小さな自分に囚われていては、小さな力で小さなことしかできないのは当然の話ですよね。

ですがもし、あなたが大きな自分へと返ることができたら、その大きな自分として、この世界を、現実をいかようにでも変えていくことができます。

ですから、力も万倍なのは当然ですよね。

今までの歴史上でも、そういう人たちが世界を変えてきました。

どれだけ大きな自分の意識と繋がることができるか?

それこそがあなたの人生のスケールになるのです。

孤独の寂しさを再定義する

してもし、今のあなたが「孤独」だと感じているのなら、

というよりも、もし今のあなたに身近で心を開ける人がいないとしたら、まずはその事実をありのまま受け入れましょう。

そして冷静に考えたら、その事実は実はネガティブなものではなく、考えようによっては非常にチャンスであることが分かってきます。

つまり、人間関係が多い人よりも、それだけ余計なことにエネルギーを使わずに、自分は勉強してグングン成長していくことができます

そういう時期があったからこそ、今の僕があります。

今では、周りには一緒に頑張る仲間がたくさんいます。

そして、最近は家族とも本当に仲良しで、友人たちとも仲良く遊んでいます。

つまり、もし今のあなたが孤独の寂しさを感じるのだとしたら、それはチャンスだということ。

人の痛みを理解して、たくさんの人を救ってあげられる人間になるチャンスだということ。

全てのネガティブなものには、それと同じだけ素晴らしい喜びがあります。

つまり、自分がその出来事からどちらの面を受け取るかだけなのです。

ですから、孤独の寂しさを感じている人も、その分、少し思い込みを取り外せたらとっても大きな喜びが隠れているのです。

孤独が辛いと感じる人へ

し、あなたがひとりぼっちでいることに耐えられず、常に誰かといないと落ち込んでしまうとしたら・・・

もし一人でいる「孤独感」が辛いとしたら・・・

是非ともやってみて欲しいのが、

「自分自身をいたわる」

ということ。

つまり、

「今、孤独で辛いね、寂しいんだよね」
「今まで寂しい思いをさせてごめんね」
「いつもそばで支えてくれてありがとうね」

そうやって、自分で自分をいたわることを是非ともやってみて欲しいのです。

心を込めながら。

いつもあなたを誰よりも理解して、支えてくれているのは他でもない自分です。

いつも、少し無理をしても耐えて助けてくれているのは誰でもない自分なのです。

まずはその自分に、ごめんね、ありがとうといたわること。

そうして、自分をいたわれば労わるほど、あなたが感じている「孤独感」が薄れていき、辛い気持ちが綺麗に消えていきますので、是非とも毎日、自分をいたわってあげてください。

孤独が消える名言集

れでは最後に、僕の人生のバイブルである日月神示の膨大な資料の中から、孤独を感じた時に響く(役立つ)至極の名言集をまとめてご紹介します。

そなたは何時いつももあれも良いらしい、これも良い様だと迷って、迷いの世界を生み出し自分で自分を苦しめて、気の毒よなぁ。

これと一応信じたら任せ切れよ。
梶かじを放して鳴門の渦の中に任せ切れよ。
任せると開ひらけて来るのじゃ。

悟れた様でいてそなたが悟り切れんのは任せ切らんからぞ。

そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からじゃ。
友作れよ、友を作る事は己おのれを作る事と申してあろが。
友を作る事は新しき世界を作る事ぞ。
一人の世界は知れたものぞ。
一人では誠の道を生きては行かれんぞ。

友と申しても人間ばかりでは無いぞ。
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ。
大地も大空も皆友となるぞ。
何もかも皆友じゃ、皆己おのれじゃ。

皆々己となれば己は無くなるぞ。
己無くなれば永遠とわに生命いのちする無限の己となるのじゃ。

御神前で拝むばかりでは狭いぞ。
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのじゃ。

拝むことは和すこと、和すことが友作る秘訣ぞ。
友を己とすることは、己を友とすることじゃ。
友に捧げることじゃぞ。

月光之巻:第五十六帖

 

平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ。
天地を良く見よ。人民の申す如き平等も公平も無いであろうがな。

一寸伸びる草もあれば、一尺伸びる草もあるぞ。
一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂点であるぞ。
これが公平であり平等と申すもの。

五葉之巻:第九帖

 

頭を下げて低くなって見なされよ。必ず高い所から流れて来るぞ。
高くとまっているから流れて来ないのじゃ。
神の恵みは水の様に淡々として低きに流れて来るぞ。

自分が自分に騙されん様に心して下されよ。
善悪を決めて自分で苦しんで御座るぞ。

極め之巻:第十六帖

 

偽の愛、偽の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ。

この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現われを見ても見えないのであるぞ。
目を閉じ耳に蓋をしているからぞ。

今の人民よ、学者よ、金持ちよ、早く考え方を変えねば間に合わん。
心の窓早くひらけよ。

星座之巻:第十六帖

 

何事が起こって来ても、先ず喜んで迎えねばならんぞ。
近づいて来るのは呼び寄せたからじゃ。

こんな嫌な汚い物はご免じゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心の写しではないか。
内に無いものが外から近寄る道理ないのじゃ。

どんなものでも喜んで迎えると喜びとなる仕組み。

何事も一段づつ、一歩づつじゃ、一足飛びは大怪我のもと。よく会得せよ。

扶桑之巻:第十帖

 

気の合う者のみの和は和では無い、すべてが神の子じゃ。
色とりどりの組み合わせ練り合わせこそ花咲くぞ。

大き心、広き心、長い心結構、大神の中で弥栄ぞ。
中々に合わんと申すなれど、一つ家族でないか。

心得なされよ、夫婦喧嘩けんかするでないぞ。
夫のみいかんのでないぞ、妻のみ悪いのでないぞ。
お互いに己の姿を出し合っているのぞ、よく会得えとくせよ。

アホになれよ、分からん事が更に分からん事になるぞ。
聞きたいことは何でも聞けよ。

大グレン目の前、一先ずひとまずは月の代世となるぞ。
ひっくり返り、ビックリじゃ。

月光之巻:第九帖

 

自分の衣は自分の外側であるぞ。

自分を霊とすると、衣は体。衣を着た自分を霊とすれば家は体。
家にいる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。

更に先祖は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。
兄弟姉妹は最も近い横の自分であるぞ。

人類は横の自分、動植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。

切り離すことは出来ん、自分のみの自分はないぞ。

縦には神とのつながり切れんぞ。
限りなき霊とのつながり切れんぞ。
故に神は自分であるぞ。
一切は自分であるぞ、一切が喜びであるぞ。

冬の巻:第一帖

 

与えられたもの、そのもの喜ぶようにすれば、楽に行けるよう暮らし向きも楽し楽しで暮らせるようになっているぞ。

あり余る程与えてあるでないか。生かして使えよ。

生活になぜアクセクするのじゃ。
与えてあるもの殺すから、自分も死の苦しみするのじゃ。

有限でなければモノは顕われないぞ。
モノに顕わすと有限となるのじゃ。

総てに感謝せよと申してあろうが。
総てのものにそれ相当の意義あるぞ。

夏の巻:第一帖

孤独の解決法

に現代に生きる人は誰しも、どんなに遊ぶ友達がいても、心のどこかで孤独感や寂しいと感じて生きています。

なぜならそれは、「自分も競争社会に参加してしまっている」からに他なりません。

もし、自分は競争社会から一歩下がり、見栄やステータスの張り合いをやめて、自分は自分にあった生き方を選んでいくことができるなら。

もし、多くの人たちとは違うことを恐れず、自分が嬉しい喜びを感じる方へと喜んで歩んでいくことができたら。

あなたの心の中から自然と孤独感が消え、他のみんなを慈しめる心が育まれていきます。

そして、あなたが完全にそうなれた時、あなたはみんなから喜ばれる存在となっているでしょうね。

それでは、今回は「孤独」についてでした。

ありがとうございました!

弥栄ましませ

西野ゆきひろ