「あなたは、何者ですか?」
と聞かれたら、あなたはどう答えますか?
もともとボクには、運転免許証の他に持っている資格もなく、特技も、貯金も、人脈も、なんにもありませんでした。
「あなたは、何者ですか?」
と聞かれたら、ボクは何も答えることができませんでした。
なにをやっても続かず、すべてが中途半端。
人間関係では、いつもトラブルばかり。
なので、友達もほとんどいませんでしたし、何でもさらけ出して相談できるような、信頼できる人もおらず、ずっと孤独に生きてきました。
むしろ、
「オレは、みんなとは違う」
「オレは、一人が好きなんだ」
と言い聞かせていたものの、大勢で楽しそうにしている人たちを見ると、心のどこかで羨ましさを感じてもいました。
もともと、ボクは社会に反発するかのように、十代で非行に走り、かろうじて地元の高校に進学するも、、
入学そうそう、トラブルばかり起こし、1年の間に何度も謹慎処分、停学を繰り返し、2年目に入ると同時に、高校を中退することになりました。
その直後、暴走族との抗争事件が発生し、事件関係者として少年鑑別所でお世話にもなりました。
▲ボクがお世話になったところに雰囲気がそっくりです▲
退所後は、悪友との繋がりを断ち切るべく、16歳で単身、東京でひとり暮らしをはじめました。
当然、学歴も資格も、社会経験もろくにない人間を雇ってくれるところはありませんでした。
なので、色々なアルバイトを掛け持ち、その日の生活費をしのぐ日々が2年ほど続きました。
そして、18歳を過ぎたころ、知人の紹介で、東京の繁華街にある「夜のお店」で働かせてもらえることになり、その後、数年間、さまざまな年齢の男子従業員とともに、寮生活が続きました。
ボクが勤めていた夜のお店は、想像を絶するほどの過労働で、休みは2ヶ月に1回、あるかないか。
あまりにも厳しい労働環境のため、新しく入ってくる従業員の8割は、3ヶ月も持たずに飛んで行きました。
そのお店は、昼の営業もしていたため、朝9時から夜中の5時まで、来る日も来る日も、毎日ぶっ通しで働き続けました。
そうして、休みなく働き詰めた結果、若干22歳にして、グループ最年少で、底辺の使いっ走りから、数店舗の経営を任されるほどまで這い上がっていました。
しかし、無理がたたり、過労で、何度も救急車で病院に運ばれました。
そんな日々が続いた末に、最後はお店の金銭トラブルに巻き込まれ、責任を持って辞めることになり、無職になりました。
25歳で無職になり、貯金もなく、履歴書に書ける職歴もない。
そんな男に、東京の風は冷たく、その後さまざまなアルバイトなどをしましたが、どれも人間関係で上手くいかず、気がつけば多額の借金だけが手元に残っていました。
職歴もない、資格もない、友達もいない、ツテもない、得意なこともない。
唯一、あるのは500万円を超える借金だけ。
そんな地獄から抜け出すべく、インターネットを使ったビジネスで起業を試みるも、最初の事業で失敗し、蓋を開ければ1000万円を超える借金だけが残りました。
相談できる人もおらず、
「もう、疲れた・・・生きてるのが疲れた…」
そこまで落ちぶれたとき、
〝もう神頼みしかない〟
と、ボクは何日も何日も、近くの神社に通って、神様にすがりました。
(今まで好き勝手、生きてきて、本当に都合がいいのですが…)
今までの自分の腐った生き方を、神社で何度も、懺悔(ざんげ)しては、
〝どうか、人生をやり直させてください!!〟
と祈願しました。
そうして1〜2週間が経ったころ、業界でも有名な経営者との出逢いに恵まれ、そのご縁によってボクの事業は軌道に乗りはじめ、数年後には、借金も完済し、地獄の底から、奇跡的な逆転を果たすことができました。
仲間たちと行うプロモーションでは、何度も億単位の売上げを出し、俗に「成功者」と呼ばれるような人脈もたくさん出来ました。
大抵の欲しいものは買える。
100平米ほどの広い高級マンションに住み、一人旅を楽しみながら、恋人や友人たちと、国内、海外、旅行三昧。
たまにプロモーションをしてはお金を稼ぎ、打ち上げと称して経営者仲間と繁華街で朝まで飲み明かす日々。
周りの人たちからは「しあわせですね」と言われるような生活。
ずっと我慢してきたものが溢れ出すかのごとく、誰もが一度は憧れ、思い浮かべるようなことを一通り経験していきました。
しかし・・・
いざ、世の中の人たちが憧れていることを経験しても、なぜか心は虚しくなっていきました。
どれだけ絶景の場所へ旅行をしても、高級ブランドを買い漁っても、刺激的なのは一瞬だけで、その楽しみはすぐに冷め、むしろ、ほとんどの時間が冷めていく。
それを誤魔化すように、さらなる刺激を求めるも、だんだん麻痺をしていき、気がついた時には、まるで廃人のようになっていました。
「暇だなぁ」
「つまんないなぁ」
「もう楽しいことってないよなぁ」
そんな言葉が口癖となり、お酒を飲んでいても、経営者たちとパーティーをしても、旅行をしても、楽しくない。
「みんなが憧れる生活」
の先には、〝虚無(きょむ)〟しか無かったのです。
付き合いのある人たちも、皆お金があればこその繋がり。
お金のない人間は誘われない。そんな関係。
その頃、身の回りでは、様々な事件やトラブルが勃発していました。
一緒に飲んでいた経営者が、酔った勢いで暴行事件を起こし、訴えられたり。
最終的には、その頃、仲良くしていた経営者たちと行った一大プロモーションで、金銭トラブルが発生。
「お金の切れ目は縁の切れ目」
とはよく言ったもので、その集まりはバラバラになり、ボクはまた、一瞬にしてひとりになりました。
『この先どうしていこう・・・』
また、何者でもなくなった瞬間。
・
・
・
ちょうどその頃です。
「人は、なんのために生きているのか?」
「このままの生き方でいいのだろうか?」
「自分が熱く燃える生き方とは何か?」
改めて、根本から見つめ直す中で、導かれていったのが
〝神道(しんとう)〟
でした。
そうして、独学で神道を深めていく中で、さまざまな人とのご縁を介して、奇跡的に出会えたのが、師匠〝北極老人〟でした。
北極老人については、前々から、とても風変わりな噂を耳にしていました。
例えば、、、
大学受験塾の元塾長先生で、全教科をひとりで教えられていて、かれこれ数千人の受験生を東大、京大、医大、早慶上智、関関同立などの難関大学に合格させてきたとか、、
自身も、全国模試で1位を取っていたにも関わらず、「受験勉強を極める」ために、幾度も全国1位を取り続けていたとか、、
英米人でもインテリしか読めないタイム誌やニューズウィーク誌をスラスラ読んでいるとか、、
本を一万冊以上読破しているとか、、
かつて風水師として数千人もの相談に乗ってきたとか、、
九つの占いの流派を極めているとか、、
ミシュランで三ツ星を獲得しているプロの料理人たちを唸らせるほどの料理の腕前だとか、、
あげ出したらキリがないのでこの辺にしておきますが、、、
これだけ聞いても、どんな人なのか、想像すら出来ず、
「架空の人物ではないか・・・?」
とさえ思っていたほどです。
しかし、実際に北極老人と出会った時に、ボクはとても不思議な感覚に包まれていました。
というのも、北極老人は、ボクが今まで出会ってきたどんな成功者たちとも、まるで違う〝空気〟に包まれていたのです。
世の中の成功者と言えば、みなギラギラしていて、いかにもスキがなく完璧なように見えるのですが、
北極老人は、その真逆で、とても自然体で、見られているだけで心が晴れ渡っていく澄んだ眼差し、見ているだけで心が温かくなる優しい笑顔、そして、近くにいるだけで、ボクの呼吸が深くなっていく・・・
そんな北極老人と初めて会った時、本当に不思議でした。
なぜか、
〝はじめての気がしない〟
のです。
どこかで会ったことがあるような、、
ずっと探し続けていた人にやっと〝再会〟できた懐かしい感覚、、
その日からボクは、北極老人を生涯の師と仰ぎ、誰からも聞いたことのないような壮大な話を聞かせていただいています。
宇宙創生の話や、、
神代の話や、、
まだ明かされていない世界の歴史や、、
人が神になっていくための話など、、
聞いているだけで、天国的な境地になっていくお話を日々、聞かせていただいてます。
しかも、ただぶっ飛んだお話しだけではなく、それを自分の仕事や目の前の日常に即して、どう活かしたらいいのか、分かりやすい言葉で解説してくれるのです。
気がつけば、ボクはたくさんの仲間たちに囲まれ、毎日みんなと一緒に笑いながらご飯を食べて、熱い話を交わし、時に糺(ただ)し合い、濃密な日々を生きていました。
有難いことに、今では、YouTubeなどを通して、数千人、数万人の方が、何者でもなかったボクの話を聞いてくれて、多くの人たちが、今もなお新しく仲間になっています。
ほんの数年前まで、孤独で借金地獄に苦しみ、生きる希望すら失っていたボクが、、
数年後には、今のように、一生を預けられる師匠に出逢い、同じ師のもとで志を同じくした多くの仲間たちと、毎日、熱く燃えて生きているなんて、想像すらしていませんでした。
いえ、
〝想像をはるかに超えた〟
ところで生きています。
だからこそ、ボクは出会うすべての人に言いたい。
「人生は、何度でもやり直せる」
ということ。
そして、、
〝何者でもないからこそ、何者にでもなれる〟
ということを。
ボクの発信を通して、このご縁に自然と導かれたあなたにも、〝本当の人生〟を取り戻すキッカケを手にしてもらえたら、この上ない喜びです。
ぜひ、YouTubeのほうも、ご覧になってみてください。
きっと、あなたのお役に立てるお話があるはずです。
少なくとも、ボクは心からそう信じています。
西野ゆきひろ