【TAO】Ep.1:「空間」を感じる能力を

こんにち和、西野です。

TAO第1通目ということで、
よろしくお願いします。

今日は、色んな人に、

「西野さんが使っている“こんにち和”と“弥栄”は、どんな意味があるのですか〜?」

という質問をされますので、先にそちらの解釈を共有しておきたいなと思います。

まずこの“こんにち和”というスタイル。

これは、数霊の深田先生から初めてメールをいただいた時に、僕に強烈なインパクトを与えた一発でした。

だからそれを見た瞬間から、僕もパクりました。笑

人の良いところは真似ていくのも、才能の1つなんじゃないかなと思います。

普通、ほとんどの人は“我”があるので、他人の真似をすることに抵抗を感じる人もいます。

が、あくまでも“我”は持ち続けておいても、そこに『プラスしていく』感覚が大事です。

髪がたも服装も、何もかもは、“何かから影響されたもの”です。

だったら、真似を恥ずかしがらないで、周りの人の良いところをどんどん自分に取り込んでいく方が良いのですね。

ビジネスでも同じで、まずはとにかく上手くいっている人の真似を出来る人ほどすぐ上手くいきます。

僕もそうだったんですけど、どうしても人はそれを教わっても、自分流にやりたくなってしまうフシがあります。

だ・か・ら、上手くいかないのです。

まずはとにかく、上手くいっている人を徹底的に勉強して真似していくってことが大切です。

そして形になってきてから、自分のアジを出していくのです。

だから、まずはあなた自身が、“人間的な重力に引かれる”人の真似を徹底的にしていけばいいのですね。

これは、特にこれから自分でビジネスをスタートするという人に言えることです。

それで、もし実際に行動してみて、“ちょっと違ったな”と思ったら、辞めればいい。

別に、痛くもかゆくもないじゃない。

だって、何もかもを失う訳ではないから。

転んだら、また立ち上がればいい。

諦めなければ、絶対に失敗はないのだから。

なので、みんな凄く失敗することに抵抗を感じるけれど、別になんにもなんないから、やってしまった方がいい。

そうしたら結果的に、徐々に形になっていきますから。

そして気付いたら、「あ、ここに居るんだ自分は」という状態になっています。

もし京都の亀岡に行きたいなら、ある程度、地図で確認して置いて、そして実際に京都に行ってみて、そこからバスなり電車なり、使って到達すればいいのです。

もし万が一、京都に行きたいのに、名古屋で降りてしまっていたとしたら、また新幹線に乗るなり、手段を変えて行けばいいのです。

どんな方法だろうと行けるんですよ。着くまで諦めなければ。

ということで、つい熱くなってしまいましたが、僕が使う「こんにち和」というのは、深田先生が使っていたのを真似したんですが、

僕的にこの“こんにち和”という言葉は『和する』という和が使われていますよね。

これが大きな決め手というか、それしかないんですけど、笑

この『和』というのは要するに『0(ワ)』で、日本の国旗、日章旗も指します。マルですよね。

この『0(ワ)』というのは、空間の波長を整えてくれる作用があります。

例えばコップの丸とかね。

もちろん、飲みやすいからってのもありますが、もしコップが真四角だったらと想像してみてください。

なんか、トゲトゲした感じしませんか?

これは僕らの意識に影響を与えることでもあり、つまり“空間の波長”に影響を与える、ということ。

その空間というのは、そこに何を置くかで決まるわけですが、その時に『0』は重要な役割を持つんですね。

だから例えば、家とかその空間に、丸いものを置いたり、電気を丸いものにするなり、そうやって空間の波長を整える、ということも重要です。

ちなみに僕は、事務所の電気を丸いものにしたり、家のダイニングテーブルは「0丸い」ものにしました。

だから例えば、もし何か置くスペースがあるなら、地球儀を置いたって良いのですね。

とにかく、この宇宙というか世界は空間作りが大事で、どんな空間を作るかが人生を決めると言っても過言ではないくらいです。

ずっと乱れた空間に身を置いている人は、そういう人生になっていきますし、綺麗に整えた空間にしたら、自然と人生も綺麗に整っていくようになるのですね。

なので、大きなエネルギーを掛けたとしても、整えや『空間作り』は取り組むべきなのです。

という理由から、最近引っ越した家の床を、彼女と2人で張り替えました。笑

丸1日掛かりました…ヘットへトです。

今回の家は角部屋のバルコニーが広くて、東・南・西、全面のお天道さんを拝めます。

そして歩いて1分のところに小さな祠(ほこら)あり、弁天さんが祀られています。

とはいえ、1つだけ、譲れないところがあって、それが「床」だったんですよね。

床の色が15年くらい前に流行った暗めの色で、気分が重く感じていたんです。

だったら、好きな床を見つけて、それを自分たちで張り替えれば良いじゃない、そう思ったんです。

そうして床を明るい「木目」にしたんですけど、もう大正解でした。

お金と時間と労力を掛けただけあって、そこに居るだけでエネルギーが上がるのが分かります。

そういうものに詳しくない彼女ですら、「なんか前向きになる」と言っていました。

とにかく、空間作りって大切で、だから部屋の掃除とかもモロ大事なんです。

そういう理由から、RENOVATION講座では、みんなで一番最初に『整理整頓』に取り組みました(その次に合同神社参拝をしました。多くの人が肌で変化を感じていました)。

もちろん僕も引っ越して、空間をゼロから作り直して、まさに大掛かりの整頓をしている最中です。

だから、大昔の人の家って、季節に合わせて毎度、作り変えて綺麗に整えていたらしいですよ。

それくらい、空間作りはもろ僕ら人間や生物、もっと言うと地球に影響を与えるということを肌で習得していたのですね。

そういう意味で言えば、あなたが今こうして読んでいる『文字』というのも、空間や人間の意識に影響を与えます。

その意味でも『和』という漢字は、穀物にお祈りをすると言う意味もあるし、丸を表す意味もあります。

なので僕はこれを見た瞬間、

「わーお!これはイイ!!」

と感じて、真似するようになりました。

そういう経緯があります。

これが「こんにち和」の意味です。

この言葉を使うにも、これだけの情報量(エネルギー)が込もっています。

そういうエネルギーが込もった言葉は、それだけ人々に影響を与えます。

それに関連して、なぜ僕はこの「弥栄」を使っているのか。

この言葉の意味は「いよいよ栄える」という意味があります。

もっともっと栄えていく、という意味です。

あるいは「いやはえ(へ)」とも読み、これは「ィヤッハウェ」という言霊でもあります。

また沖縄の「イーヤーサーサァッ」も、音が非常に類似しているのも、偶然ではありません。

なので、この「イヤサカ」という言葉を使う人がこの宇宙の中に増えれば増えるほど、その音霊で世の中全体のエネルギー波動が上がっていくということ。

そういう意味でも最近、この「弥栄」を使う人が増えてきたので、僕の中の嬉しいことの1つです。

乾杯するときとかも、

「カンパイ!」ではなく「イヤサカ!」

みんなでこれを広げていきましょう。

あなたもこの言葉を口にする回数が増えるほど、あなたの人生は良い方向へと転がっていきます。

なので、ぜひバリバリ使っていってください。

ということで、ここまでで「こんにち和」と「弥栄」の説明は終わりです。

今日は最後に、

『感じる』

ということについて、触れて終わりにしたいと思います。

これがTAO第1通目ということで。

今日これまでにも、

「空間の整え(整理)は非常に大切ですよ〜」
「0(丸)は空間の波長を整えますよ〜」

というお話をしてきましたが、そういうことをまさに「感じて」欲しいんですね。

とにかく「こんな感じがする」という“感覚”にもっと敏感になって欲しいんですよ。

頭で考えるのも良いんですけど、尾てい骨や背骨に「聞いて」見て欲しいんです。

「これって、辞めておいた方がイイのかな」
「これは自分の人生を変えるものかな」

というのを、もっと頭で考える以上に、

「こっちに感じる」

というものを大事にしていくと、少しずつ未来の選択を迷わなくなっていきます。

だから空間というのも、理論を知ることも大事ですが、“それ以上に”感覚・感じをもっと敏感に感じて欲しいんです。

神社とかに行ってもそうで、頭よりも身体、身体よりも感覚に耳を傾けて見て欲しいんです。

例えば、借金などを家族に隠している人は、

「もう話した方がいいことは分かっている」
「隠すことでどんどん自分を追い込んでいることも分かっている」
「でも、もしそれで家族を失ったら…」

という狭間で葛藤してしまうのですが、それが『執着』なのです。

もし、本当にあなたにとって大切な人で、家族もあなたを大切だと思ってくれているのなら、どんな話を聞いたって、この先も一緒に居てくれます。

ですが、その家族があなたの本質ではないのだとしたら、養育費を払って離れるのも1つの手段です。

僕は「離婚推奨派」とかそういう低次元の話ではなく、あくまで『常識に縛られないでください』と言いたいのです。

離婚をすることがいけない。

確かにそれは常識でしょうが、そういう「洗脳」があなたの可能性の目を潰し、資本主義社会に都合の良い人間へと抑え込んでおこうとする『見えない格兵器』です。

例えば、僕の周りにも、

「一旦、離れた方がいいと思うんだけどな〜」

という人って居ます。

みんながみんな、離れた方がいい、なんて言っているわけではないですよ。

最大限、やり直せるように努力した上で、それでも違うのであれば、一旦離れる事も選択肢の1つですよ、と言いたいのです。

ただ、やはり僕もしますけど、みんな過度に執着をし過ぎなんですよね。

例えば僕は前の彼女のときに、心は「次のステージに行きたいなら離れた方がいい」ということを感じて居ました。

それでもし離れたとして、それが僕の本質だったのであれば、またもう1度、時間が掛かったとしても何かしらのご縁で会うことになるでしょう。

そんなこと分かっては居たのですが、当時の僕は必要以上に、今まで当たり前にあったものを失う恐怖に怯えては、自ら苦しんでいました。

しかし、そうこうしているうちに、女性から分かれを告げてくれました。

つまり、強制的に離れるという状態に軌道修正されたわけですね。

お陰様で今の僕がいますし、今の素敵な彼女とも一緒になれました。

つまり僕らは、この人生を生きている中で、常に「魂」が求める方へ導かれています。

自分が本来いるべき場所へ、強制的に戻ろうとするのですね。

それなのに、僕らは“執着”をすることで、本来、物事が円滑に流れる位置に行こうとしているのに、これまで培った常識や価値観、過去への執着によって、それを妨害して、摩擦を起こして苦しむのです。

つまり、家族に何かを隠すということは、それは何かを失うことへ過度に恐怖を感じ、必要以上に執着してしまっている状態の現れです。

とにかくしつこいんですけど、常識や過去への執着など頭で考えるよりも、「あなたの魂はどっちだと感じているのか?」を“感じる”ようにしていくと良いですよ。

とはいえ、全く考えるなとか、そういう極端なことを言うつもりもありません。

あくまで「考える」というのは、反省したり、次に活かす学びを得たり、魂に返る、つまり神返(かんがえ)るための能力です。

失う恐怖や戦いに使う能力ではありません。

なので、感じた方向に身を委ね、己を省みて、周りを活かしていく。

そう、まるで聖なる水のように。

これが理想の生き方だと教えられています。

僕らがそれを集団で実現できたとしたら、どんなに素晴らしい未来が待っていることか。

みんなで実践して生きましょう!

ということで、TAO第1弾、これにて結び。

ありがとうございました。

弥栄!

西野ゆきひろ