
こんにち和!西野です。
オンラインサロンIYASAKAでは、多くの人が新しい自分を手に入れていて、
今までの片付けられない自分が、ほんの数週間で綺麗に掃除できるようになったり、
当然ビジネスの生産性が今までとは比べ物にならないほど向上したり、
長年ずっと悩んできたことがたった数週間で解決してしまったり、
みなさんペースはそれぞれですが、なりたい自分へと変化していける素晴らしい環境になってきました。
それで、IYASAKAにはみんながアウトプットできる場所がありまして、思ったこと気づいたこと、体験した嫌なことなどを自由に投稿できて、そこにみんながコメントできます。
で、その中で、ぼくが今までにもたくさんの方から相談される悩みについての投稿がありました。
それが、こちらです。
↓
みなさんこんにちは、藤田です^_^
【情熱が持つ力】
皆さんの「情熱をかけている方の記事」を見ていて素直に
「自分も情熱をかけられる物が欲しい」と思いました。
もしかしたら、これも「我欲」かもしれないですが、
僕はまだ情熱をかけられる物を発見できていません。
僕も以前は夢があって、過労で倒れるくらいに力を入れていたのですが
それでも「毎日楽しかった」
今も毎日本当に楽しいです^_^
でも、もう少し本気になれるものが欲しいと思ってしまっています。
でも、焦って探して、「これだっ」と決めつけるよりは、
焦らず、本当に心から「これだっ」と思えるものを探していきたいと思います。
弥栄
人生を掛けて情熱的に打ち込めるものがない

これはとても多くの人に相談されることでもあります。
今まで散々、失敗もしてきて、色んなこと挑戦してみて、でもどれも結局、続かなくて、もう自分は何をやったらいいのか・・・。
何かに情熱的に打ち込めている人が羨ましい・・・。
これは、本当にたくさんの人に相談されます。
でも、ぼくもその気持ちすごく分かるんですよ。
ぼく自身も今まで散々、色んなチャレンジをしてきました。
ボイトレに習いに行ったこともあるし、お笑い芸人のオーディションとか参加してみたり。笑
彫り師になろうと絵の練習を初めてみたり、映画を作りたくて高い映像教材に手を出してみたり、本当にあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、もう何をやったら良いのかさっぱり分からなかったのです。
まさにお先真っ暗だったのです。
だからこそ、
「自分が本気で打ち込めるものがない」
「情熱を燃やせる一つのものがない」
という人の気持ちが痛いほどよく分かるのです。
その頃というのは、もう何もかも投げやりになっていたんです。
そのうちに、周りの人たちを妬むようになっていったのです。
自分よりも幸せそうだったり、上手くいっていたり、楽しそうに見えると、すぐに罵(ののし)って自分を正当化させていたのです。
素直に認められなかったのです。
周りの目を気にせずラブラブしているカップルを見ると、
「へっ、気持ちわりぃ!」
と罵っていたのです。
ですが、いいじゃないですかねぇ。
彼らはラブラブなんだから、罵る必要はありませんし、余計なお世話ってもんです。
ですが、こういう人は本当に多い。
でもなぜ、周りを悪く罵しってしまうのか?
それは「冷めてしまっている」からです。
なにかに対して情熱的に、100%打ち込めていないからです。
なにか気掛かりがあったり、不安を持つことによって熱が冷めていき、人生に対しても、誰(何)に対しても冷めたくなっていきます。
「へ、どうせ俺は…」
と捻(ね)じれていくのです。
なぜ本気で打ち込めるものがないのか?

では、なぜ人は何をやっても長続きしなかったり、情熱的に本気で打ち込めるものがないのか?
それは、今まで失敗してきた痛みの経験が、次第に「どうせ自分なんて」と捻じれていき、何事にも熱が冷め、新たなことに挑戦しなくなるからです。
新たなことに挑戦して、その結果また今までと同じように失敗して痛い思い、悲しい思いをすることを恐れているのです。
恋愛でも「自分は一人でいいんだ」と自分で自分に嘘をつき始めるのです。
自分が傷つくことを恐れ守ろうとするほど、人は挑戦しなくなります。
そして、挑戦しなくなっていくほど、どんどん心の熱が冷めきっていき、何事に対しても冷めた目でしか見られなくなるのです。
「どうせ、そんなもんでしょ」
「へ、そんな怪しいもん興味あんのかよ?」
などと、どんどん捻じれていきます。
そして、自分は傷つきたくはないばかりに、当たり障りのない生活をして、当たり障りない毎日を過ごして、だけど、
「なんか満たされない」
「突き抜けた幸せを感じられない」
「なにか物足りない」
という心の穴を持つようになります。
傷つくことを恐れるな!
ですが、もし本気で『突き抜けた幸せ』を得たいなら、、
人生を心の底から最高だと叫べるものにしたいなら、恐れずに挑戦し続けることを辞めないことです。
前に色んなことに挑戦したけれど、でも最終的には上手くいかず、挫折した経験があると、その過去の失敗の痛みを怖がって、挑戦しなくなってしまいます。
すると、どんどん心の熱が冷めていき、捻じれ、自分以外の他を罵ることでしか自分を守れない(正当化できない)ようになっていくのです。
ですから、口を開けば何かを悪く言ったり、政治家や犯罪者に対して、ニュースに対して、誰かの挑戦に対して悪く言って罵ったりするような人は、他でもない自分自身が傷つくことを恐れ、挑戦を避け、完全に熱が冷めてしまっているのです。
だから、今の自分を正当化しようと、守ろうと必死なのです。
人生というものは、年齢など関係はないのです。
今まで何年生きてきたのであろうが、そんなものは関係がないのです。
人生(宇宙)というのは、ただただ移り変わり、変化していくだけです。
ですから、何歳になろうとも挑戦していくのが「真(マコト)の人」なのです。
グジグジ言っている暇などない

何かに夢中になっている人ほど、ニュースや社会に対してグジグジ言っている暇はありません。
悪くいうのは、暇があるからで、熱中できるもの、心から人生を掛けて打ち込めるものがないからです。
「自分、迷っているんです!」
とみずから叫んでいるようなものなのです。
口を開けば何かを悪くいう人は、自分自身が挑戦して傷つくことを恐れ、完全に心の熱が冷め切ってしまっているのです。
情熱を持てるもの、本気で打ち込めるものを見失って、どうしたらいいのか自分でも分からないのです。
(ぼく自身も、何か迷いや不安な気持ちに襲われると、すぐに他を批判しようとします。)
ですが、そういう人にこそ強くオススメしたいのは、とにかく「やってみたい」と思ったことは、恐れずに挑戦してみることです。
それは、なんでもいいのです。
いつもジュースばかり飲んでいる人は、飲むものを水やお茶に変えてみたり、食べる量をほんの少しだけ減らしてみたり、コンビニやスーパーで売られている菓子パンとか猛毒なものを食べている人は、そこをバナナにしてみたり、なんだっていいのです。
特に、今までずっと自分のやりたいことを我慢してきた人ほど、今までとは真逆でやりたいことをとことん、やってみたほうがいいのです。
そこに年齢など関係はないのです。
とにかく、常に新しい「より良い自分へなろうと変わる挑戦をし続ける」ことです。
それで失敗してもいいのです。転んでもいいのです。擦りむいてもいいのです。
何度失敗しても、何度でも繰り返し挑戦し続ければいいのです。
その面で言えば、必死に立ち上がろうとする赤ちゃんのほうが、よっぽど尊敬に値いするのです。
オンラインサロンという未知なる挑戦
昨今、オンラインサロンというブームが巻き起こって、当然それをポジショントークで非難する方々もいらっしゃいます。
「そんなもん意味ねぇよ!」
と自分の立場を守ろうと、オンラインサロンを罵(ののし)る人もいます。
ですが、僕はあえてこの時代に「オンラインサロンを開催する」という自分がやったことない挑戦に踏み切りました。
もちろん、今までにもインターネットを使ったコンテンツ販売やコンサルティング、オンラインのコミュニティなどを開催してきました。
ですが、実際にサロンをやってみて思ったのは、このオンラインサロンは「それらとは異質」でした。
有料オンラインサロンを運営してみて思ったのは、オンラインサロンは少し今までのインターネットのコンテンツ販売、オンラインのコミュニティとは違うものがあります。独特なのです。
これは肌感覚ではないと説明できません…。
ですがその分、僕も未経験のことなので、たくさん失敗もありまして、それはもう痛い思いをたくさんしています。産みの苦しみも。
ですが、それでも挑戦し続けていて、それがまた本当に楽しくて仕方がないのです。
日々、みんなが明らかに内面から、人間性から変わっていく報告を見ていると、挑戦し始めて本当に良かったなと心から思えるのです。
恐れず挑戦し、失敗して痛みを経験した分だけ、喜びもひとしおなのです。
どれだけ偉そうなことを言ったところで…

もし、オンラインサロンを非難する人がいたら、それは自分の提供するコンテンツを守るためのポジショントークか、純粋に今まで積み上げてきたものに依存して、新たな挑戦を遠ざけ、ぬるま湯に浸り情熱が冷めてしまっているかのどちらかです。
どちらにせよ、今までの僕も他を悪く非難する癖が強かったのですが、最近は少しずつ、直すように努めています。
それこそが最も重要な「ご神行」だと思っています。
どんなに全国各地の神社やパワースポットを巡るよりも、
どんなに最もらしい偉そうなことを言うよりも、
そもそも自分の悪い癖を「仕方ないだろう」と見て見ぬ振りをするような人は、まだまだ未熟ですよねぇ。
ましてや、その悪い癖を棚に上げて何かを罵り続けるとか、愚の骨頂です。
ぼくだったら、そんな人の元では絶対に学びたくないですね。
どんなに役に立つことを教えてくれる人だったとしても。
どんなに美味しいご飯でも、そこに毒や添加物が入っているなら、ぼくは食べたくありませんから。
悪魔も偽善を語れるのです。
この「自分の持つ悪い癖を直していく」ことこそが、人生で最も重要なものであることを学びました。
ですから、今でもふと、自分が他をなにか悪く言ってしまった後というのは、本当に恥ずかしい思いをします。とにかく恥ずかしい。ダサすぎる…。
だけど、そうやって恥をかき、失敗して痛い思いをして、そうして一生を掛けてでも自分の悪い癖を直していくことが、人生で最も尊い「お役」なのであります。
見せかけではない「真の幸せ」とは何か?
そして、最高の人生へと切り拓いていくために、まず直さなければいけないのは、
「自分の身を守ろうとすること」
です。
これはぼく自身にも、ほとんど誰しもが持っている悪い癖です。
自分さえ良ければ、世界のどこかで飢え死にしていようが関係ない。
そんなことよりも、自分が幸せになることが一番大事。
そんな人は一生、本当の幸せなど手に入れることはできません。
なぜなら、
『真の幸せというのは、他のために自分を捧げること』
にこそ存在するのですから。
自分以外の存在の役に立つことこそが、本当に心の奥深くから満たされる幸せなのです。
なぜ、この宇宙には一つとして、全く同じものが存在しないのか?
それこそが“他の役に立つため”だからです。
器用な人も、話し上手な人も、文章が得意な人も、この世に自分ひとりだったら何の意味もなさないのです。
それらの特技・能力を他のために役立てるからこそ、存在する意味があるのです。
ですから、もし今現在、
本気で打ち込めるものが見つからない・・・
自分には何が向いているのか分からない・・・
情熱を燃やして打ち込めるものがない・・・
としたら、とにかく
『今の自分が他のために役立てることは何か?』
を考え、そして「これやってみたい!」と思うことがあれば、どんな小さなことでも実際に行動へと繋げていくことです。
そして、実際にやってみて自分に合わなかったり、向いていなかったりしても、別にそれはそれでいいのです。
もう、そのことに対して
「これは自分に向いているのかな…?」
なんて迷う必要も無くなるのですから。
それだけで大きな前進なのです。
真の喜びで満たされる人生へ

人はすぐに、
「あれはどうなんだろう…」
「あれも良いらしい…」
「こっちでは色んな人が成功しているらしい…」
とみずから迷いのドツボにハマっていっては苦しんでいるのですが、そんなものは無駄でしかないのです。
迷っている暇があるんだったら、まずはやってみたらいいのです。
そしてやってみて、向いていなければ辞めて次のことをしてみたらいいのです。
赤いものの中にいると、赤くなっていくのです。
同じように、傷つくことを怖がって自分の身を守ろうとせず、ひたすらに自分と周りの喜びに向かっていたら、いつの間にか自分も周りも喜びで満たされるのです。
今、この瞬間からでも向かっていけばいいのです。
常に、ぼくらには選択する自由があるのです。
今この瞬間から、自分が傷つくことなど恐れず、自分も周りも喜びで満たされる方向へ進み、新たな挑戦をしていきましょうよ!
大丈夫です。
あなたは既に、この地球という大船で守られながら生きているのですから。
それでは、今回はこの辺で。
本日もありがとうございました。
あなたの人生が喜びで満たされますように。
弥栄ましませ
西野ゆきひろ