【清心洞察記 .12】アンビバレンス

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

 

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

ここ数日

ある現象に陥っていた。

 

そう、

現実世界に偏り過ぎていたのだ。

 

この世は、

見えない世界

と 

見える世界

で成り立っている。

 

ハレとケ

聖と俗

神界と人界 

と言ってもいい。

 

ボクたちのような

世を立て直す

神の御業(ミワザ)に

お仕えさせていただく者としては、

現実に埋没することは

もっとも忌(い)むべきである。

 

というのも

現実の世界は

抽象度が低く

次元が低く

波動(Eg)も低い。

 

その世界に埋没すると

精神が荒くなり

IQも下がり

回転数も下がっていく。

 

すると

やる気も起きず

散漫になって

妄念妄想が増えていく。

 

基本的に

人がネガティブになるのは

俗界(現実界)の邪気を受けるからだ。

 

邪気を受けると、、

 

人によっては、

異様に眠くなったり

イライラしはじめたり

疑心暗鬼になったり

マイナス思考になったり 

食欲、性欲が強くなったり

する。

 

これは

その人の前世からの癖や

家系の因縁など

それぞれの弱点によって変わってくる。

 

邪霊というのは

その人の一番弱いところを

突いてくるからだ。

 

そして

ボクはというと

ミーティングも増え

現実的に進める仕事も増え

寝てもパッとせず

常に体が重くなっていた。

 

食べるご飯の量も

今までの量では足りず

食欲が異様になっていた。 

 

当然

集中力も落ち

体力も下がっていた。

 

そのことに気がついたのは

仲間と話している時だ。

 

最近

かくかくしかじか

こういうことがあって

北極老人からご指南をいただいた、

という話を聞いていた。

 

すると

内容がもう

今の自分の状況に

寸分違わず当てはまっていたのだ。

 

MTGは増え

そのMTGでToDoも増え

エントロピーが増大する一方で

回転数が下がりはじめていた。

 

北極流では

MTGが終わった時に

「ふぅ、やっと終わった‥」

と疲れるようなものは

〝クソミー〟であり

やる価値なし、

と言われている。

 

もし、そのMTGに

神様が降りているとしたら

終わった時には

全員が

やる気も

勇気も

元気も

高まっているはずである。

 

そうならないのは

次元の低い話し合い

ばかりしている証拠。

 

つまり

現実的なToDoの話ばかりで

熱い思いや

今日得た悟りなど

抽象度の高い話をせず

省エネモードになっているのだ。

 

ボクは

一善ライブをしているときは

神様に

祈って

祈って

祈って

最近の〝ゆにわ〟での出来事や

話題、テーマなどを共有している。

 

すると、

その時間はエネルギーが高くなる。

 

だから

見ている人が元気になるのは当然で

何より、やっている本人も元気になる。

 

エネルギーの高い話を

している時間だからだ。

 

しかし

別のMTGで

現実的な話だけをすると

回転数が下がり

単にTodoをこなすことで

もっと回転数が下がる。

 

そうして

ライブや勉強会

ゆにわのまかないご飯で 

なんとか回復する。 

 

という

完全に〝聖と俗〟が分離し

現実の忙しさのほうに

飲まれつつあった。

 

しかし

全ての人にとって大切なのは

俗の中にいても埋没せず

聖なるものを忘れないことだ。

 

例えば

現実的なToDoなど

抽象度の低い話をするときでも

まず初めに

熱い思いなど

抽象度の高い話をして

その場のエネルギーを高めてから行う。

 

普段、誰かと話すときも

単なるコミュニケーションではなく

エネルギーや回転数が上がる

IQが上がる

そんな会話を心がける。

 

そして

MTGが終わったあと

誰かと話したあと、、

 

元気になったか?

疲れたか?

その基準で振り返ってみたら

その時間が良いもの

だったかどうかは

一目瞭然である。

 

俗っぽい会話は

エネルギーが下がる。

 

ウワサ話

ゴシップ

情欲

それらの会話は

次元が低すぎて

邪気も浴びる。

 

もちろん

100%無くす

なんてことはできない。

 

だからこそ

「あ、今のは波動が下がったな」

など、常に〝空気〟を感じて

最終的には

波動が上がるような

IQが上がるような

回転数が上がるような

クロージングに持っていく

ことを心がけることだ。

 

この

〝聖と俗〟

というアンビバレンスを

両立させるのは非常に難しい。

 

でも、だからこそ

日々、挑戦し

日々、感じ

日々、悟っていく。

 

そうやって

中庸の徳を学んでいくのである。

 

現実的な仕事をするときも

神様に

祈って

祈って

祈って

心の中から

妄念妄想を無くし

関わる人のしあわせを願って

取り組むこと。

 

すると

その現実的な仕事も

聖なる仕事となっていく。

 

単なる立ち話も

単なる読書も

単なる仕事も

すべてが〝聖なるもの〟になる。

 

それこそが〝聖人〟だ。

 

うつそみの人の世にこそ生まれ落ち
天つ御国に仕えまつらむ

 

ゆきひろ