みなさん、こんにち和!
西野です。
人生の何たるかを勉強している人にとっては、
必ずいつかどこかで、
「うわぁ〜、この人の、こういう発言、納得いかんなぁ」
という経験をすることでしょう。
もちろん、ボクもその一人であります。
というのも、やはり幅広く勉強をすればするほど、
同じ議題(テーマ)に対して、こっちの人はこう言って、
あっちの人はこう言って、という相反する意見に出くわします。
そう、見解や解釈がぶつかるのです。
例えば、同じ桜の花を見たときにも、
「あぁ、咲き誇る、桜の花は美しきかな」
と唄う人もいれば、
「あぁ、風に舞う、散る花にこそ桜冥利」
と唄う人もいます。
これは、どちらも同じ「桜」について、
その美しさを唄っていることに違いはありません。
ですが、
かたや「咲き誇る桜の花こそが美しい」と言い、
かたや「桜は散るからこそ美しいのだ」と言う。
これこそが「見る人によって見たいように見る」という、
最たる例だと思います。
かと言って、今になって思うと、
どちらが間違っているということもなく、
どちらも正しいと言えます。
例えば、ボクはよく人様に「聞いていただく行」を
させていただいておりますが、すると、
「でも西野さん、あっちの人は、
掃除とかビジネスに関係ないって言ってましたよ!
あの人は1億円プレーヤーですよ!」
なんて言われることもありました。
今思うと笑けてくるのですが、
実際に言われたのです。
こういう人は、とにかく全ての物事を
「自分の考えを正当化するために捉えている」
と言えます。
と言いますか、ボクも含め世のほとんどの人たちが、
「すでに自分が持っている価値観や信念を強化するために見聞きしている」
のです。
だから、そういう人は、
何かの本を読んだりセミナーで勉強しても、
本来、その本が伝えたいことを学ぶことなく、
自分は間違っていないのだと正当化したいがために、
まるでビュッフェ形式に捉えていきます。
そして、自分の考えを真っ向から否定するような言葉や情報は、
まるで存在していないかのようにスルーするのです。
そう言えば今年の3月にも、
淡路島のウェスティンホテルで、
「離島リトリート2019」
という合宿企画を開催しました。
で、そのときにも、ゆっくり時間をかけて
「自分が生まれてきた意味を知る」
というワークをしたのですが、
その中の一人の男性も、分かりやすく、
全ての情報を今自分が取り組んでいることが正しいんだ、
間違っていないんだと正当化することに使っていました。
さらには、その男性にいくら「違うよ」と言っても、
何にも入っていかなかったのです。
流石に、そこまでくると致命的なのですが、
少なからず、ボクら全員にこういう面があります。
つまり、
「自分が見たいようにしか見ない」
そして、
「自分を否定するようなものは受け付けない」
ですが、そこに気づかないまま
ずっと同じことを繰り返していては、
絶対に人生が変わることはありません。
と言いますか、いつまでも人生が変わらない人というのは、
全くもってこのように生きてしまっているのであります。
もちろん、本人からしたら、
「ちゃんと新しいことを学んでいる!」
と思い込んでいますが、
それすらも自分の都合よくです。
そもそも、その新しく学ぶことも全て、
自分の今までの考えを強化するために使っているのです。
そんなんでは、いつまでたっても、
今までの古き小さき自分の世界ですよね、
つまり「系の外」には出られないのであります。
もし、本当に人生を変えたいのであれば、
今までの自分の考えが壊れる、つまり、
「自我が崩壊する」
という経験を何度もしていくことです。
例えば、ボクの例で言えば、
今まで自分が学んできた神様に関する知識があって、
さらに色んな文献を調べていくと、
次第に全くもって「相反する情報」にぶち当たります。
すると、自分の中で、
「あぁ、一体なにが真実で、何を信じたらいいんだ・・・」
とグラグラ不安定になります。
そう、この瞬間、
ボクの「自我」が崩壊しているのです。
今までの人生で培ってきた体験、経験、
学び、記憶、感情によって作り上げられている「自我」が
バリーンと崩れてしまうのです。
ですが、それでいいのです。
なぜなら、その自我というのはあくまで、
「今までの自分」という小さき小さき宇宙なのですから。
だからこそ、そんな小さな自我なんて
何度もぶち壊されていったほうがいいのです。
そうすることによって初めて、
新しい自分へと生まれ変わることができるし、
そうやって自分という宇宙が広がっていくのですから。
そもそも、なぜ教わることと自分が持っている価値観が
ぶつかってしまうのかというと、それは、
「見ている次元が低いから」
そうなるのです。
そう、世界を見ている次元が低いのです。
だから、見る次元を上げたら、
どちらも正しいし、間違っていないことが分かるのです。
わかりやすく言ったら、
例えばさっきの桜の話で言えば、
「桜は咲き誇る姿こそ美しい」
「桜はすぐに舞い散るからこそ美しい」
この2つの言い分は、一見して次元が低いままだと、
まるで反対のことを言っているかのように思えます。
が、見ている次元を上げると、
「どちらも桜の美しさを賞賛している」
のです。
「いやいや西野さん、
そんなこと言われなくても当たり前じゃないですか」
なんて思われるかもしれませんが、
あくまで、これは分かりやすい例を出しているから、
そう思えるのであって、
実際にいざ自分の世界に置き換えてみると、
ほとんどの人は、これがまるで分かっていない。
だからこそ人は、
口を開けばすぐに、
「でも、そんなこと言ってもさ!」
などと口答えするのです。
しかし、誰かに何かを指摘された時には、
すぐに口答えしたり、揚げ足を取ろうとするのではなく、
「あれ、ちょっと待てよ。
もしかして自分が見ている次元が低いのかもしれないぞ?」
とまずは自分を疑い、
物事を見る次元を上げてみる努力をすることが、
ボクらにとって大事な『行』なのであります。
例えば、かつてある男性が放った言葉、
「西野さん、あっちの1億円プレイヤーは、
ビジネスと掃除は関係ないって言ってましたよ!」
というものでも同じことです。
もちろん、ビジネスと掃除は関係がないと言えば
関係はないですよね。
だって、部屋の掃除をすることと、
実際にLPやレターを書く行為は違いますから。
ですが、それは非常に次元の低い見方で、
ある意味、
「西野さん、ご飯を食べることと、
飲み物を飲むことは関係がないですよね!」
と言っているようなものなのです。
いや、確かに食べることと飲むことは違いますよね。
ですが、次元を上げたらどちらも
「生きていくために必要なこと」なのです。
ですから、例えばビジネスと掃除の関係でも、
ビジネスというものに対して、
「ビジネス = お金を稼ぐ」
という次元でのゴールから見た場合、
それらは全く関係のないものです。
が、ビジネスでお金を稼ぐことは大前提として、
もっと見ている次元を上げて、
『ビジネス = 魂を成長させていく』
という次元でのゴールから見た場合、
ビジネスと掃除は非常に密接な関係であり、
どちらも繋がっているのです。
つまり、相反する意見や価値観に出会ったり、
「あの人にはこういうこと言われたけど、
でもさ、そうは言っても私はこうも思うんだけど…」
という考えが出てきた時には、
一度、見ている次元を上げてみる。
この訓練をしていけたらいいですね。
実際に、次元を上げてみたら、
どちらも間違っていないことが分かりますから。
これはある意味、春に桜の木の下に集まって、
ある人は本を読み、ある人は酒を嗜み、ある人は昼寝をしている。
ですが、どの人が間違っているということでもなく、
人それぞれ楽しみ方が違うだけであって、どの人も、
「桜を楽しむ」
ことに違いはないのです。
今の季節で言えば海に集まる人たちもみんな、
日焼けしたり、海水浴したり、一夏の恋を貪ったり、
家族の思い出を作ったりと、十人十色です。
ですが、どの人も間違っていることもなく、
みんな思い思いで「夏を楽しむ」ことをしているのですよね。
(とはいえ、もちろん「もっとやることがある」とは思います。)
だから、そこで
「あいつ、日焼けなんかしてやがる!」
とか、
「うわ、あいつ、日傘なんてさしてやがる!」
とか、
いちいち誰かを否定すること自体、
ちゃんちゃらおかしいことであり、みんな正しい。
いつでも、そう思えるようになりたいと思う、今日この頃です。
だから、家族同時でも、もしかしたら
意見がぶつかることがあるかもしれません。
でもそうなった時には、
「どの段階での理想を元に言っているのか?」
とお互いちゃんと話し合うことです。
もしかしたら、相手は家族全体がより良い関係になるために
言っていて、逆に自分は
「自分の欲求を満たすため」
に言ってしまっているかもしれない。
またはその逆かもしれない。
ぶつかるということは、
お互い低い次元で見てしまっているからで、
ちゃんと高い次元に昇華して話し合えば、
絶対に分かり合えるはず。
なぜなら、ボクら人間の根源には、
神様から分け与えて頂いた『直霊(なおひ)』があるのですから。
そう信じて、私利私欲で発言するのではなく、
相手の未来、お互いの未来を考えた上で、
ぶつかることを恐れず言いたいことを言って、
みんなで深い関係を築いていけたらいいですね。
ということで、今日はこの辺で。
あくまでも、ボクの目指したい理想ですが、
みんなで一緒に、より神に近い人の境地を目指せたらこれ幸いです。
ボクらの神なる旅は、まだまだ続きます。
それでは、本日も最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。
かしこみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。
八坂弥栄
西野ゆきひろ
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