【TAO】「動物以下」の低俗な人ですよ

【今日の神言】

世界の人民皆泥海の中に住んでいるのじゃぞ。
元の水流して清めてやらねばならんなり。

泥水を泥水と知らずに喜んでいるので始末に困るぞ。
清い水に住めん魚は誠の魚ではないのじゃぞ。

つらい役は因縁の身魂に致さすぞ
心得なされるがよいぞ

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こんにち和、西野です。

前回、

「真に何をしたいのか分からない!」

という人は多いとお話ししましたが、なぜ迷ってしまうのか。

それは、
「自分にとって本当に大切な物を知らない」
からです。

そういうものほど、失ってからでないと気付くことができません。

失う前に気付けたら最高ですけれど。

ですが大抵は、自分のことばかり考え出して、周りのことを考えられなくなってしまいます。

すると、大切なものが見えなくなってきて、意味の分からないものに飛びついては痛い思いして、失って、気づいて、でもまたすぐ見失って、、

というのを繰り返しています。

気付かず乗っ取られている低俗な人たち

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自分の大切なものが見えていない人ほど、社会的な体裁を気にすることが多いです。

そして、「自分の」幸せのためなら、子供がいようとも離婚などいとわない。

という状態になっていきます。

これはまさに、今の僕らです。

「自分たちの幸せな生活のためなら、原子力発電で犠牲になる人たちは目をつむる」

それが、今の都会に住む僕ら大多数の実情です。耳が痛い話です。

つまり、

自分たちにとって本当は何が大切なのか?

それを見失ってしまっているのです。

だから、真に自分がやりたいことが分からないのです。

肉体を自分だと思い込む

なぜ「自分」は自分なのに、100%コントロールできないのか?

それは、自分のものではないからです。

あくまで、自分は「借り物」なのです。

みんな、「肉体の自分」を自分だと思っています。

僕もずーっとそう思っていました。

だから、性欲が沸いたらすぐにデリヘル呼んでは、自分の欲求を満たすような人間でした。

まさに「肉体が主人」という状態です。

これはご飯とかにも現れていて、昔はいつもお腹いっぱいに食べていました。

それはもう、たらふくになるまで食べる。毎回、重くなるまで食べる。

それをいっつもやっていたのです。焼肉とかね。

つまり、肉体の欲求のままに生きてきたのです。

そうして、衝撃的な反動がきたのです。

今の世の中のほとんどの人は、肉体こそが自分だと思い込んでいます。

ですから、「良くない」と分かってもやってしまいます。

つまり、完全に肉体が主人です。

「動物以下」の人たち

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これはある意味、動物的な人たちです。

本来、ヒトは霊的に高い存在でした。

ですが、今の人たちは動物のザマと化しました。

食べたいだけ食べる、満たしたいだけ満たす。

むしろ今の人たちは、余るほどたらふく平らげ、全く感謝の気持ちが無くなっています。

まさに、今の人たちは「動物以下」です。

これが、今までの僕でした。

こうなると困ったものでして、「自分絶対」主義なのです。

恋人と付き合っていても、自分の立場を守ることばかり考えていました。

自分“が”幸せになることを考えていました。

恋人とのことよりも、ビジネスのほうが何よりも優先となっていました。

つまり、バランスが取れていなかったです。

面倒臭いことは後回し、とにかく今を楽しめたらそれでいい。

これはある意味、とても危険な「おしえ」です。

「今を楽しめたらそれでいい」

確かに、これはごもっとものようですが、単なる「言い訳」でしかないのです。

「それでいい」という時点で、嫌なことには目を瞑る、と言っているのです。

楽しめたら苦しむ人がいてもそれでいい。

原子力で犠牲になる人たちがいても、自分たちが楽しめたらそれでいい。

自分たちの都合の良い言い訳なのです。

「サニワする」とは?

人は簡単に自分に騙されます。

自分で自分につく嘘が一番見抜けないのです。

なぜなら、それは自分の内からの声なのだから、嘘には思えないのです。

だからこそ、ここで大事なのが、神道で言う「審神者(サニワ)」なのです。

神道でいうサニワというのは、降りた神霊を精査するお役です。

「この神霊は本当に邪霊ではないか?」
「本当に正しい神霊なのか?」

それを見極めるのが、神道の審神者(サニワ)と言います。

が、これは何も特別な神懸かりだけではなくて、僕らは自分たちでやっていく必要があります。

つまり、そのささやき、言い分は、本当に正しいのか?本当にマコトなのか?

それを自分でサニワ(精査)していかなくてはならないのです。

そして、自分に都合の良い言い訳だった場合、大抵それは低級霊の仕業です。

こう見ていくわけですね、神道では。

もっと言うと、例えば人が集団で集まったときに、正しい判断ができなくなる時がありますよね。

もっと冷静に対処すれば避難できたとしても、みんなが出口に押し寄せて潰れてしまうとか。

ある意味、そう言う「群集心理」というのも、神道では「一時的な憑依霊」と捉えます。

みんなで一つの邪霊に憑依されている、というわけですね。

そう、ですから

鳴り散らかす人というのは、神道的には「低級霊に憑依されている」と捉えます。

なぜなら、その人だって穏やかで優しい時だってあるじゃないですか。

でも、その人が怒鳴り散らかすというのは、完全に低級霊に憑依されているのです。

みんな「霊」とか言うとすぐ横を向いたり、いわゆる「亡霊」みたいなことを想像するのですが、そんなものではないのです、本来。

僕たちの肉体を司る存在が「霊」なのですよ。

文章で結界を張るとは?

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まぁこういう話に免疫がない方は、今ごろ嫌悪感を感じているかもしれません。

なぜなら、こういう話は霊的に高いことなので、以前の僕のように性欲や食欲、承認欲など、肉体的な刺激的な欲求だけを満たす低級霊には害でしかないからです。

低級霊はそんな自分を守るために、嫌悪感を示し、悪口を言い、自分から遠ざけようとします。

なので、あえてそう言う人が来ないように、ある意味いま僕は文章で結界を張っているわけですけれども。

そう言う人ほど、僕や周りの人のエネルギーを奪ってこようとするので、近寄られると危険です。

とはいえ、神さんは

「そういう人民でも、分け隔てなく抱き参らせよ」

とおっしゃるのですが、一方で、

「嫌な顔する人民後廻しじゃ、飛びつく人民縁あるのじゃ。
早く読み聞かす神示(ふで)えり分けておいて下されよ」

とも仰いますので、そのようにいたします。

つまり、最近はずっと「ご縁のあるヒト」を集めるための文章を書いているわけです。

ミタマを磨く道

ヒノモトの人民(つまりあなた)は結構なミタマだそうで、磨けば誰でも今までの釈迦やキリストにもなれるのだそうです。

ですが今は、そんなことなど消し去られ、みんな自分を見失って苦しみもがいています。

何が幸せなのか、何が正しいのか。

だからこそ、釈迦やキリストになれるミタマのヒトを集めて、その人たちで、日本を変え、そして世界を変えていけるそんな活動をしていけたらいいなと思っています。

あ、別に僕はスピリチュアルとか宗教とか、そんなものには全く興味がありませんよ。

「えぇ!西野さん、すでにスピリチュアルの話を・・・」

と思われるかもしれませんけれど、そんな低次元な話をしているのではありません。

むしろ、僕のこういう話を聞いて、スピリチュアルとか思っていぶかしむ時点で、程度の低い霊に使われている可能性が非常に高いです。

傲慢だったり、自分の知識に鼻高さんというやつです。

「引き寄せの法則!」

とか言っているのではないのです。

「神様が救ってくれる!」

なんて言いたくもないのです。

自分のことは自分で救うのです。

ですから、みんなが云うスピリチュアルや宗教なんてものは全く興味がありません。

あくまで僕は「身魂ミタマ磨き」です。

未熟だからこそ、ミタマ磨きです。

そうして、世界の戦争すら無くせるくらいのミタマを目指していくべきだなと思っています。

いえ、「僕が世界の戦争をなくす!」なんて思ってもないですよ。

そんな善者でもありません。

ただし、言いたいのは、それくらいの光を発せられる「ミタマ持ち」になれたらいいなと思っています。

ですから、ガンジーやキリスト、釈迦と云うのは、それはそれは相当の「ミタマ持ち」でしたでしょうねぇ。

まぁ今はそこまでの考えは持っていませんが、ただ、それくらいの人格(ミタマ)は目指したいですね。

それくらいのミタマ持ちになったら、

「ビジネスで月収100万円!」

なんてのは小指のつめ先でしょうね。

どれだけ次元の低い目標なのだろうか。

売上げ1億円!とかも良いのでしょうが、それってあくまで「自分」でしょうに、ベクトルが。

もし、世界最高峰のミタマ持ちになれたら、世界中のお金を動かせるでしょうねぇ。

そんな、ミタマ持ちになりたい。

一緒にミタマ磨きしたい!

というおヒト、大歓迎ですよ。

それでは今日はこの辺で。

ありがとうございました。

弥栄ましませ

西野ゆきひろ

 

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