【清心洞察記 .7】神様に対する正しい姿勢

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

 

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

 

毎週水曜日は

オンラインサロン『ゆにわ塾』の

ラジオパーソナリティの日だ。

 

今まで

色んな人と組んできたが

現在のパートナーは

開運料理人ちこさん。

 

ボクらは「店長」と呼んでいる。

 

このラジオは

ほぼ毎日配信されていて 

水曜がボクらの担当日だ。

 

毎回

『ゆにわ塾』に寄せられる

質問にお答えする形ではあるものの・・

 

できる限り気軽に

聞いてもらえるように

雑談や笑いなども交える意識をしている。

 

今日のラジオ内でも

すこし触れたことだが、、

 

「雑談」は非常に重要な意味を持つ。

 

ボクら仲間の関係性や空気感が

一番伝わるからだ。

 

(じつは、そこが一番エネルギーが高い。) 

 

これは

文章においても同じだ。

 

そのひと特有のリズムや「間」がある。

 

師匠〝北極老人〟は

お話しされるとき

非常に独特な間というか

空気感がすごい。

 

「すごい」という表現は

逃げかもしれない。

 

しかし

どう表現したらいいのか、、

 

今の自分の力量では

到底、表現しきれない。

 

〝北極老人〟は

雑談をとても重んじられている

ように思える。

 

実際にそうだ。

 

どれだけ

壮大で深淵なお話を

されているとしても

必ず、ところどころで

笑いや余談を挟まれる。

 

このバランスが〝絶妙〟なのである。 

 

特に現代人は

合理

効率

短縮

などの「病い」に罹っていて

余計な話を嫌う傾向がある。

 

それは

数年間YouTubeを

やり続けてきて

痛いほど身に染みている。 

 

よく

「前置きが長い」

「早く結論にいってほしい」

「頭が悪いんじゃないの?」

などと非難されることがある。

 

最後のご指摘は

避難というより事実なので

弁解しようもないのだが・・

 

この

「ムダを無くしたい」

という病いは致命的だ。

 

ミーティングにおいても

話が脱線することが悪だ、

という考えを持つ人がいる。

 

しかし

それは違う。

 

雑談をする中で

ひらめきが降りてくることは

往々にしてある。

 

じつは

本日も高野山参拝について

反省会と今後の予定など

深夜にMTGが開かれた。

 

『ゆにわ』では

反省会を非常に大切にする。 

 

そのMTGでは

それぞれの役割において

反省や改善点を

あげていくのだが、、

 

すこしボケたり

横道にそれた話をしたり

笑いが起きるようなことがあった。

 

もちろん

そればっかりになってしまって

MTG が進まない、

なんてことは本末転倒だ。

 

しかし

そういう会話や時間が

その場の空気(エネルギー)を作っていく。

 

淡々と

一直線に結論までたどり着く

だけでは味気がないし

そういうところに神様は降りない。 

 

べつに

もしMTGがまったく盛り上がらず

空気が停滞して全員がシーンとしていたら・・

 

いきなり上裸になって

踊り出す人がいてもいい。

 

もちろん

これはモノのたとえだが

 

マーニーという女子スタッフのように

「みんな空気が悪いんじゃ!!」

とブチギレる人がいてもいい。笑

(これがまた最高だ。) 

 

しかし

そうやって空気を変えたり

盛り上げようとする気持ちが

何より大切だ。

 

ただし

それが適切か不適切か

というのは誰にも分からない。

 

しかし

「この場に神様が降りたくなるような会にするぞ」

という思いを

胸に抱いて発言をすれば・・

 

かりに

そのときはスベったり

周りの反応が冷ややかだったとしても

べつに気にすることはない。

 

そういう〝健気さ〟こそ

一番、神様が好かれるからだ。

 

神様は、完璧な人間が好きなのではない。 

 

失敗

欠点

弱点

があったとしても

一生懸命、前へ進もうとする

そういう人間がお好きだ。

 

ボクらは

師匠〝北極老人〟から

神様に対する心構えとして

教えていただいていることがある。

 

それが・・

 

わざわざ

 さっそく

 丁寧に

 手土産持参で〟 

 

「そんなの無駄じゃない?」

「こっちの方が効率的じゃない?」

なんていうものに

神様は振り向いてくれない。

 

わざわざ足と時間を使って

早速行動して

丁寧に気持ちを込めて

手土産を持っていく。

 

これが神様に対する正しい姿勢である。

 

この際

〝手土産〟と言っても

何も物質的なものである必要はない。

 

もちろん

気持ちをカタチにするのも

大事なことだ。

 

しかし

何より大切なのは

そこまでに向き合ってきた

〝意(こころ)〟 

である。

 

ついでに

とか、

気が向いたから

とか、

仕方なく

などというのは

神様に対して

というよりも

誰に対しても失礼だ。

 

たとえ

その時間も体力もエネルギーも

ムダになってしまったとしても

祈りの気持ちで行なうからこそ

それは見えない世界で届くのである。

 

だから

ムダを恐れてはいけない。

 

遠回りしてもいい。

 

そういった時間が

あなたの〝魅力〟になるのだから。

 

ボク自身も

この『清心洞察記』は

何になるかは考えていない。

 

もしかしたら

お金という物差しで見たら

一円にもならないわけだから

ムダでしかないだろう。

 

しかし

そういう「ムダ」こそが

神様への花束なのである。

 

これを呼んでくださる

物好きのあなた方と

その背後にいる守護霊さんへ。

 

名も知らぬ道端に咲く草花を
祈り手向けん神の御足に

 

カムナガラタマチハエマセ

 

ゆきひろ