【TAO】離婚します。

こんにち和、西野です。

これは、僕から世界に向けて発信する「誓い」です。

今日、江口のおじさんの肉体を燃やすところを、一緒にお見送りさせていただきました。

火葬は何度か経験してはいるものの、こないだ16年ぶりに会ったばかりのおじさんが、こうして骨だけになって出てきたところを見たら、すごく複雑な気持ちでした。

あとで聞いたところ、おじさんの家は遠い遠い親戚まで集まる賑やかな家だったのだそうです。

確かに、僕ら兄弟も小さい頃、あの家に行くのが大好きでした。つまり、あのおじさんには、何か人を魅了するものがあったのです。

確かに、人望も熱い人でした。ワイルドなんだけれど、とにかく真面目で、周りの人のことを良く考えて気にしてくれる人でした。

なので僕の親戚たちは、しょっちゅう泊まりに行っていたのだそうです。

僕は荒れていたので、16年間も顔を出してなかったのですが、こないだ久々に会って、僕らも嬉しくて、ですがその後すぐに骨だけになって。

(このタイミングで亡くなるということに意味があります。僕らに対して神様が計られたことです。)

確かに、80年以上も生きたら、寿命と言えば寿命です。

が、今日ふと思ったのです。

なぜ、善人が死に、悪人が生き残るのか?


なぜこんなに素晴らしい人が死ななければいけないのか?

言葉は悪いかもしれませんが、例えば昔の荒れていた時の僕とか、もっと死んだほうがいい人間ならいっぱいいるのに、こんな素晴らしい神のような人が亡くなる。

それって、不公平じゃないか?

そう思ってしまう自分もいたことは確かです。

ですが今の僕なら、これは不公平ではないことを確信しています。

なぜ、善人が死んで悪人が生きることがあるのか?

それは、「その人に与えられたお役がある」からです。

そう、僕らから見て悪人と見える人でも、その人に与えられたお役がある。

例えば、その人は誰かを傷つけることによって、傷つけられたほうを成長せることがお役なのかもしれません。

そんな神様のなさること、僕らには到底、理解できません。

ですから、僕らのたかだか数十年の近目(ちかもく)で良い悪いなんて、絶対に判断などできない。

だから今回、僕らの大好きだった江口のおじさんは、亡くなることが最後の真っ当なお役だったということ。

そして、おじさんが亡くなることで、生き残っている僕らは全員、必ず何かしらの影響を受けます。

例えば、こうして僕に深い智慧を与えてくれたり。

つまり、この世で起こる全てというのは、全てが意味のあることであり、それ相当のお役があり、決して僕らの浅い頭で良し悪しの判断など出来るはずがない、ということ。

だからこそ、僕はそういう自分よりも大きな存在に対して、深い畏敬の念を抱くのであります。

なぜ人は苦しむのか?


それは、全て自分の浅い頭だけで「それは苦しいものだ」と判断するからです。

そう、起こる全ての事象というのは、全て神様から自分への白紙の手紙であり、それをどう読み取るかというのは、全て自分の心(ミタマ)次第なのであります。

もし、僕のような生まれながらの短気さんは、それだけ自分へのオゴリがあり、心が磨けていない証拠です。

慢心するから、偉そうになり、驕り高ぶり、人を見下し、イライラする。

それは紛れもなく、自分の心の掃除ができていないからなのであります。

(はい、本当に申し訳ございません…。)

そして、心の掃除ができてくるほど、だんだん自分の浅い頭で物事を判断しないようになってきて、より喜びを生み出す方向へと進んでいけるのであります。

だから例えば、もし心の掃除ができていなければ、今回のおじさんの死を「悪いもの」と解釈し、勝手に落ち込み、イライラし、となっていたことでしょう。

ですが、僕は今回のおじさんの死は「良かったな」と思えるのであります。

いや、これは死んで欲しいとかそういう意味ではなく、僕にとっては非常に大きな教えを頂いたからです。

おじさんが無くなったことで、改めて「人は死ぬ」ことをリアルに実感し、心がビシッと正された出来事でした。

あくまで、僕らは生かされているのであり、それ相当のお役を与えられているから、こうして生きている。

その大切な命を、自分の我欲だけに使うのか、それとも世界やみんなのために使うのか。

それは全て、自分次第ということです。

この先、僕の未来はどうなるの…?


そんなこんなで、僕は昨日、IYASAKAの片野さんから頂いたご縁で、ある会に「神道の先生」としてお招きいただきましたので、参加してきました。

(自分のことを「先生」などと思ったこともございませんが。)

それはどんな会なのか?

というと、何カ国もの地位のある人たちが一葉に介して、どうしたら、本当に世界から戦争や争いを無くすことができるのか?

を考え、ディスカッションする会でした。

そこには、ニュージーランドの副大使、東アフリカのマラウィ大使、ユダヤ教のラビ(指導者)、イスラム教の日本支部代表、日本の外交官などなど、今までの僕とは一切、無縁すぎる錚々たるメンバーが出席していました。

そんな中で、僕はIYASAKAの活動をいたく共感され、ぜひ代表として話して欲しいと「先生」としてお呼びいただいたのです(マジでみんな僕に対して敬意を評して接してくださったのです)。

※先日、ニュージーランドで発生した死者50人を超える銃乱射テロで犠牲になられた方々への黙祷時。

左から・・・イスラム教(日本人)、東アフリカのマラウィ大使、イスラム教日本支部代表、ニュージーランド副大使、ぼく、吉田日光和尚、
他にもキリスト教、ユダヤ教、ジャイナ教、ヒンドゥー教、日本外交官、神学者など同じ席に同席。

(聴衆にも色んな国々の人たちが参加していました。)

 

いや、でもちょっと待ってくださいよ。

呼吸を整えて、冷静に考えてですよ。

十代の時に逮捕されていて、元ジャンキーで、両手首まで刺青が入っていてですよ、しかも大学もロクに出ていないような「ハグレ者」である30歳の坊主の若造が、諸国の大使や外交官たちと同じテーブルで、対等な立場で、その会に「先生」として参加させて頂くなんて、あり得ます・・・?


今回テロがあったニュージーランドの副大使の横でスピーチするぼく(撮影:IYASAKA片野さん)

もう、意味が分かりませんよ。どうなっちゃってるんですか、僕の人生は。

まぁそれはともかくとして、この会に先生としてぜひ話して欲しいとオファーを頂いた時には、すぐさま断ろうとしました。

いや、僕が神道の代表者として参加するなどおこがましいと。

ですが、即座に僕の中の神様が

「お前はメクラか?これは神から頂いたご縁ざぞよ」

と言われたので、即座に快諾しました。ぜひに、と。

その瞬間、僕は「神道の先生」になりました。

いや、もちろん「俺は先生だぜ」なんて一ミリも思っていません。なんなら、今でもあり得ないと思っています。

僕には、日本のこと、神道のこと、知らないことなど沢山ありますし、僕よりも神道について詳しい人ならこの日本にはたっくさん居る。

とはいえ、僕には学や知識というものは持ち合わせていませんが、ある最後の一厘の武器があったのです。

そう、それが

「マコト」

です。

いや、僕はまだまだ澄み切った誠の心は持ててはいません。

が、今はいつだって「清くマコトの心で」という意識を心掛けて毎日を生き抜いています

だからこそ、僕は実際の自分よりも過大評価される場に「敢えて」飛び込む勇気が湧いて出てきたのであります

そう、これこそがまさに「神道家なのだな」と思えた瞬間でした。

(つい先日に見たイチロー選手の引退会見で、「実際の自分よりも過大評価されるのは本当に苦しいこと」と仰っていたのが印象的でした。)

確かに、僕よりも神道の知識をいっぱい持っていて、神様の名前にも詳しくて、色んな祭祀の方法も知っていて、という人は沢山います。

ですが、マコトの心で神になるための道を生き抜いているという点で言えば、まさに僕もれっきとした「神道家」なのだと、今回の一件で神様から教えて頂きました。

ほんと悪いこと言わないから辞めたほうがいい。


実際のところ、こういう「神様ごと」というのは、「運を上げる」とかもそうなんですけれど、軽い気持ちでは絶対に手を出さない方がいいのですよ。

ほんと、それだけは強く”強く”言っておきます。

下手したらムゴい死に方をしますよ。怖いですよ、本当に神ごとは。

なので、今の人たちは簡単に「運気が上がる」とか言っていますが、マジで痛い目を見る前に、今のうちに手を引いておいた方がいいですよ。

自分の儲けや身欲我欲でそのワードを使っているなら、悪いことは言いませんから、絶対にやめた方がいいです。

そのくらい、こうして簡単に一言「神道家」と言うだけでも、そこには非常に非常に重たいものがあるのです。

今回、僕はこの会に参加したことで、実際に良かったのか悪かったのか、分かりません。

もしかしたら、僕ではなく違う「神道家」が参加した方が良かったのかもしれません。

ですが、ただ一つ言えることは、僕はその会に「マコト」の心で望んだということ。

だから、後の結果がどうなるかなど、僕には到底、理解ないので、それは全て神様にお任せします。

ただ、あの時、あの日、僕にできる最善は尽くしたと言い切ることができます。

とは言え、その会の最中に、ニュージーランドの副大使と隣同士で座って普通に話し合っている時には、自分には何が起こっていたのかなんて分かりませんでしたけどね。

ただ、あとで考えたら

「それって何だか凄いことになっていないかい…?」

と気づくことができました。

そして、この出来事・体験というのも、IYASAKAの活動をしていなければあり得ないことでした。

つまり、これはIYASAKAがあってこそのご縁であり、そう考えると、

「IYASAKAは世界に歓迎されているのではないか」

と思えてならないのであります。

だって、他の団体や集団は沢山ある中で「IYASAKA」なんですよ?

僕のことをみんなに紹介されるときにも、司会の方には、

「IYASAKAという活動をされている…」

という紹介をされました。

ですから、今回のイベントというのは、僕は「西野ゆきひろ」として参加したのではなく、

「IYASAKAの代表者」

として参加したということ。

つまり、僕はもう僕だけのカラダ(存在)ではないということです。

そして、そこの場にIYASAKAが呼ばれたという時点で、これはもう(驕りではなく)IYASAKAは今の世界に求められているものなのだ、と確信したのであります。

とは言え、IYASAKAはまだまだ立ち上がったばかりの赤ちゃんです。

ここから、実際にどうしていけるかは、IYASAKAに集まる僕ら次第です。自分次第です。

だからこそ、こうして気づけただけでも、僕は今回の会への参加というのは非常に有意義なものであったと思えるのであります。

離婚します。


そして今日、皆さんに誓っておきたいことがありますので、ここで宣言しておきます。

実は僕、根っからの「パイプ大好き」男でした。

あ、パイプって言っても、いかがわしいパイプではなく、タバコ葉を詰めてプカプカ吸う大きなパイプです。

こんなの。

僕はほんとにこのパイプを吸うのが好きで、とにかくナチュラルな葉っぱの味がとても美味しいし、大好きだったのです。

仕事をしている休憩とかに吸ったり、温泉とか行ったらプカプカふかしながら仕事をするのが好きで好きで仕方ありませんでした。

ですが・・・。

今日、そのパイプと葉っぱ一式を全てポイしました。

そう、この行動は僕の中で、とてつもなく大きな大きな決断でした。

ある人にとっては離婚をするのと同じくらいの決死の決断でした。

全てを正直にお話ししますと、僕は昔ジャンキーでした。

つまり、色んなドラッグや薬物に手を出しては、キマッてぶっ飛んで、クラブやレイブで暴れ狂っていました。

打ち込みまではしませんでしたが、シ◯ブを炙ってラリったまま車の運転とかしていました。

今思えば、ほんとうに誰かを殺したり、自分が死んでいてもおかしくありません。

そう、そんな人間だったのです。

安心してください。とうの昔の話です。

さすがにドラッグを断ち切れたからこそ今の僕が存在していられるわけですが、でも元々がジャンキーだったので、このパイプを吸うのが大好きだったのです。

(普通のタバコよりも、さらにキツイものだと思ってもらえたら。)

タバコよりも吸った時にガツンと「ヤニクラ」がくるので、それが気持ち良かったのです。

(普通の人にとっては、お酒のほろ酔いの気持ち良さと同じ感覚です。)

ですが・・・。

今日、末期ガンで亡くなった江口のおじさんの最後を見送り、納骨をして、死んだ後の周りのみんなの話を聞いていて、思ったのです。

「辞めよう」

と。

というのも、おじさんが亡き後、みんなおじさんのことを凄く褒めていて、「こんな嫌なところがあったよ」などと言う人は一人もいなかったのです。

みんな口にするのは「本当に素晴らしい人だった」という言葉で、54年間も一緒に生きてきた奥さん(僕のおばさん)でさえ、心からおじさんの存在を祝福して感謝していたのです。

そう、みんなが心惜しみながらも、笑顔で見送っていたのです。

それを目の当たりに体験した僕は、深く考えさせられたのです。

「今、もし僕が死んだとしたら、本当に胸を張って誇らしく死ねるだろうか?」

と。

そして周りの人は僕の亡き後、

「本当に素晴らしい人だった」

と口を揃えて言ってもらえるだろうか?と。

そう思った時に、ふとパイプをぷかぷか吹かしている僕が急に恥ずかしくなってしまったのです。

みんなに「命の使い方」を伝えておきながら、そんな自分の命を、自分の身欲であるパイプ葉を吸うことに使っていて良いのだろうか?と。

神様から大層なお役を与えていただいている自分の肉体を、自分の身欲でケガしているのではないか?と。

その瞬間、内なる神からこんな声が聞こえてきたのです。

「欲糸一つ手放せば、神との糸がまた一つ太くなるのであるぞ」

と。

それを言われた時に僕は、

「あ、もう完全に辞めるべき時が来たな」

そう思ったのであります。

今の僕は普段、あまりお酒を飲まないですし、もちろん薬物もやらないですし、ささやかな楽しみと言えばこのパイプだけでした。

ですが、そんな最後のパイプも手放すというのは、これはもう僕にとっては非常に大きな決断です。

「断腸の思い」

というのは、まさにこのことを言うのでしょうね。

ガンと向き合う人々と。


もう、僕は僕だけのカラダではありません。

僕に人生を掛けてくれている人たちがたくさんいる。

その人たちのためにも、僕は生半可な気持ちで、片足突っ込む程度の気持ちで生きるなど許されないことです。

だからこそ、断腸の思いで下した決断をもう金輪際、曲げないように、こうしてみなさんに「誓い」として『言霊』として発言しました。

今週末には母の乳ガンの手術も控えていて、その入院の前には家族全員で実家の大掃除を手伝うことを決めました。

また、つい今日のこと、ある僕の会員さんである女性のメールに、

「実は、ガンと共に生きています。」

というお話がありました。

正直、「マ・ジ・か・・・」と思いました。

と言うのも、もうその女性は、なんども僕のセミナーや合宿に参加してくれていて、何回も一緒にご飯を食べていた「大切な仲間」だったからです。

そんな方が、まさかガンと共に生きて、通院していたなんて…。

僕はその言葉を見たとき、凄くショックを受けました。

「なんで、散々接してきて、そんな大事なところに気づけなかったのだろう」と。

正直、さっき家の神棚の前で黙祷している時、普通に泣いてしまいました。

ごめんなさい、と。

諸国の大使や世界の指導者と並んでIYASAKAの代表者としてお呼び頂いたことに加え、

大好きだったおじさんが末期ガンで亡くなり、母の乳ガンの手術が週末に控え、そして大切な仲間のガンを知る。

もう、立て続けにありすぎて、正直なところ、さすがに食らいました。

そもそも今日、母に会ったら髪がだいぶ短くなっていたことに気づき、

「あれ?髪なんか短くなってない?どうしたの?」

と聞いたら、

「ああ、入院の準備でね。手術したらシャワーも浴びられないでしょ」

という言葉が返ってきて、もの凄くズキンと胸が痛みました。

だって、女性にとって髪は命のようなものでしょ。

実際、母は僕の今までの親不孝によってストレスで髪がたくさん抜けてしまったので、最近はそれを気にしてカツラ?的なものをつけていました。

それくらい、母にとって大事な髪の毛を、ガンの手術のために短くしていたのですよ。

もう、すんごく心が痛んだのであります。

そういうことが、一度に折り重なったので、良い年こいて普通に神棚に向かって涙をボロボロ流したのであります。

で、すっごくスッキリして、心が浄化されて、エネルギーが爆発的に湧いてきて、今これを書いているのであります。

ほんと、最近は目まぐるしいです。

これらの出来事というのは、一般的な捉え方をしたら「辛いこと」だと思うことなのでしょう。

ですが、ここで強く言いたのは「心配してください」などとは一ミリも思ってはいないということ。

だから、凄く嬉しいのですが、この件について僕に気を使って何か声を掛けなくて大丈夫です。

そうではなくって、僕がみなさんにシェアしたいのは、これら全ての経験というのは、全てが僕にとって最善であり、全てが必然であり、全てが僕に必要だからこそ、今こうして体験している、ということ。

そう確心しているのであります。

だからこそ、僕は大好きだからとはいえ、自分だけの身欲でパイプを吸うことを手放し、もっともっと清く生きていこうと誓ったのであります。

今日このお話というのは、きっとある人にとっては「重たい」と思われるかもしれません。

が、僕の近しい人たちなら「この記事には最高の祈りのエネルギーが詰まっている」と読んで理解していただけるでしょう。

この記事を読んだみなさんやその周りの人たちに光が広がり、本当に世界からテロや戦争がなくなり、病気で苦しむ人もなくなり、みんなが心から永遠に喜ぶ嬉し嬉しの世界になって欲しい。

改めて、そう思ったのでした。

ぜひ、あなたも僕らと一緒に本気で人生、変えませんか?

そして、みんなで力を合わせて周りの家族や大切な人たちに光を広げ、最高の未来を一緒に実現していきませんか?

IYASAKAでお待ちしてます。

全員で人生を変えるオンラインサロン『IYASAKA』募集ページ:
https://humaniaclabo.com/post_lp/iyasakaletter/

それでは、ありがとうございました。

弥栄ましませ

西野ゆきひろ

 

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