【清心洞察記 .10】人の本分とは何か。

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

 

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

最近

朝も夜もMTG尽くしだ。

 

とはいえ

朝方まで作業をしていることもあり

(先ほどMTGが終わり

 これを書いているのもam07:00頃)

今朝は起きれなかったが・・。

 

また起きたら

11時から

新たに発足したチームの

MTG兼、執筆会である。 

 

今、「ゆにわ」では

様々なことが同時進行中。

 

もちろん

事業は多岐に渡り

大学受験塾

各飲食店

農業

情報発信 

セミナー事業

イベント事業

他にも

細かいことを挙げたら

本当にたくさんあるが

すべてが同時進行だ。

 

それもそうなのだが

例えば

セミナー

イベント

これらの事業にしても

様々なことが重なっている。

 

間もなく

再日程の高野山参拝が控え

同じく

今年の半年講座の奥義編が

近日に迫っていて

連日、内容を作っては壊し

エネルギーを圧縮している。

 

そして

2ヶ月後の年末には

今年で12年目となる

伊勢神宮参拝セミナー。

 

こうやって書いていると

本当にたくさんやることがあるが

決してバラバラなのではない。

 

あくまで

ボクたちにとっては

ある一つのことで繋がっている。

 

それが〝神の道〟である。

 

仮にどんな業種や事業であれ

我々は神様に仕える人間である。

 

〝神の道〟を生きている。

 

さて〝神の道〟というや

何も知らない一般ピープルや 

大衆への迎合に勤(いそ)しむ

識者(しきしゃ)からすると 

「え、神とか、つかえるとか、怪しい宗教ですか?」

なんて嘲弄(ちょうろう)するであろう。

 

実際

「ゆにわ 宗教 怪しい」

なんていう

ワードで検索してしまう

おイタな人もたくさんいる。

 

こうやって

怪しい

とか

あいつらは悪い!

なんて叩く輩(やから)は

何も知らない連中である。

 

断言できる。

 

昨今(さっこん)の

ごぼうの党の奥野氏と

メイウェザーによる

花束の件にしても

全く同じことが言える。

 

当然

奥野氏が素晴らしい

なんて言うつもりは

サラサラない。

 

だが同時に

批判するつもりもない。

 

そもそも

「奥野は日本の恥だ!」

「メイウェザーは真摯な対応をして素晴らしい!」

なんて言っている連中は

ハッキリ言って

奥野氏とメイウェザー

彼らの「実」の

何を知っているというのだ。

 

ハッキリ言おう。

 

そうやって

奥野氏を批判したり

メイウェザーを称賛したり

する連中というのは

彼らのことなど

よくも知らない連中なのだ。

 

あの一場面だけを見て

人を判断する。

 

そして

大衆の意見に飲まれて

それが

自分の意見

価値観

だと陶酔(とうすい)する。

 

愚の骨頂である。

 

当然

ボクだって事実はわからない。

 

二人の「実際の人間性」も知らない。

 

だから

盲目的に賞賛も批判もしない。

 

ただあの一件を

ありのまま見る。

 

実際に

普段の関わりの中で

メイウェザーの人間性

知っている奥野氏は

本気で腹が立っていたのかもしれない。

 

そういうことを

1mmも考えようとしないで

ただあの「いち場面」だけを見て

しきりに毀誉褒貶(きよほうへん)する。

 

これぞ

いつの時代においても

大衆心理にハッキングされた人間の

盲目的な行動パターンである。  

 

これと同じことで

〝神の道〟

と聞いて

即、懐疑(かいぎ)の念を抱くのは

何も知らない

知ろうともしない

一般大衆

あるいは

科学という「道具」

の奴隷として生きる

浅薄な人間だ。

 

なぜなら

〝神の道〟に生きることこそ

我々日本人における

日本人たる根源的な民族性であり

世界の中で日本人が担う「使命」だからだ。

 

いにしえより

本来の日本は

神を立て

神を斎(いつ)き祀(まつ)り

神のもとで

政治や生活を営む

ことを何万年としてきた。

 

いつしか

大陸の表面的なところ

だけを取り入れて

自分達のルーツすら忘れてしまった。

 

それをもう一度

日本で思い出すことが

今の日本人にとって不可欠である。

 

だから

イカれたカルト宗教と

〝神の道〟の違いを

ちゃんと理解してもらう

必要があるだろう。

 

そのためにも

何年もずっと

発信し続けている。

 

そして

これからも。

 

北極老人からは

「上手にできる」

「目に見える数字を出す」

よりも

「良い空気(波動)を残すこと」

こそが

5次元的な生き方だと教わっている。

 

5次元とは何か。

 

その話をすると

夜になりかねないため

また少しずつ書いていこうと思う。

 

しかし

今のところで言えば

「ヒエラルキーの外」

とだけ書いておこう。

 

つまり

稼いでいる人が偉い

力のある人が偉い

スキルのある人が偉い

学歴の高い人が偉い

頭の良い人が偉い・・

 

それらはすべて

ヒエラルキー

支配構造) 

の領域内であり

4次元の中だ。

 

その領域内では

いくら昇り詰めたとて

有限の世界である。

 

唯物論的な偉さを超えた

無限の可能性に満ちた

5次元の道は

ヒエラルキーの外だ。

 

その支配構造を変えて

生きとし生ける

すべての人が神になる世界。

 

万物が貴(とうと)い世界。 

 

それを目指すのが

北極流である。

 

たとえ

スキルがなくても

頭が悪くても

商売が不得意でも

容量が悪くても・・

 

やること成すこと

の全てにおいて 

〝あたたかい空気を「残し続ける」〟 

ことこそが

神に仕える人間の仕事だ。

 

それこそが〝神の道〟に

生きる人間の生き方である。

 

 

かむながら
まことの道に生きらむと
身魂(ミタマ)磨くは人の本分

ゆきひろ