おはにちばん和!西野です。
「今の職場がイヤで・・・」
最近、相談に乗った女性が言っていた言葉。
確かに、分かるなぁと思います。
これは、職場だけに限った話ではなく、今あなたがやっていること、家庭や人間関係、すべてに言えるかもしれません。
明かされる風俗店員の実態(一部…)
というのも、ボクが5年間、グレーな風俗店で働いていたとき、自分から選んだ仕事のはずなのに、なぜか途中から、
「働かされている」
という被害者マインドが芽生えてきて、まるで『仕(つか)える』という天国からは、ほど遠い地獄の霊界(心の世界)で生きていました。
休みはない、上司は嫌い、お店の子はまるで約束も守ってくれず、次の指名が入っているのに、
「今日もう、行きたくない」
と言って、平然と帰ろうとする。
「おいおい・・・!もうお金も頂いて、お客様はホテルで待ってくれているんだぞ・・・!?(しかも、無理やり待ち時間を短く盛ってまで…!!)」
なんて常識ルールなど通用するはずもなく、
「すみません、“女の子”になっちゃいました」
なんて、男性からは何も口を出せない、反撃不可能な致命傷を与えてきたものです。
そのたびに、ホテルまで走っていって、
「はぁ、はぁ、」(急いできた風で誠実さを演出)
「お客様、大変!申し訳ございません・・・!」
と、何度、この頭を下げてきたことか。
まぁとにかく、そんな日常なわけですから、それはもう、自分で選んで働かせてもらっているのに、
「マジで、ほんと辞めたいわぁ〜」
なんて愚痴っていたっけ。
そんなわけで、人はなぜか、自分で選んできた連続こそが、いま目の前にある『現実』であるのに、その現実に文句ばっかり言ってしまう。
自分で選んでそうなっている、ということは、自分が手繰り寄せているとしか言えないのに。
しかし、これは耳が痛い話かもしれないけれど、
どんなに不幸を嘆こうと、どんなに不遇を叫んだとしても、
今の環境や状況というのは、物心がついてから、ずっと自分が選択してきた結果(もっと言うと、生まれるその遥か前から)。
だからこそ、人生を本気で変えようと思ったときには、まず一番初めにやるコトは、
「現状を甘受する」
ということ。
つまり、弾き出そうとするのではなく、心を柔らかくほぐして、それをあまんじて受け入れる。
そうしないと、自分の中にある「本当の原因」を解決することはできない。
なぜ、多くの人は同じ失敗を繰り返すのか?
なぜ、ダメ男を引き寄せる女性は、繰り返しダメ男を引き寄せ、離婚を繰り返すのか。(逆もしかり)
それは、いくら表面上の相手を変えたところで、根本の原因が解決していないために、何度でも同じ現実を生み出してしまうわけです。
ですから、まず嫌になる何かがあるなら、それは必ず、何か原因が自分の中にあるのだ、と受け入れることを避けては通れない。
そうしないと、死んでもあの世でやり直し。
またそのテーマ(ステージ)から、繰り返さないといけない。
じゃあ、どうしたらいいのか?
というと、それはとても簡単なこと。
「神様は一体、この経験を通して、自分に何を学ばせ、何を乗り越えさせようとしてくださっているのだろう?」
と、繰り返し、“空間に問いを投げていく”。
すると、その思いはエネルギーとなって蓄積し、見えないコップの水が溜まって溢れたとき、答えが『ピカーン』と降ってくる。
あるいは、その答えが分かりやすく、現象化してくる。
そうしたら、その現象化したことと向き合い、自分なりに乗り越えようと努力する。
決して、逃げず、立ち向かう。
このプロセスが本当に大事。
何かあった時には、
「うわ〜最悪だよ〜」
というもので終わらせるのではなく、「これは何を乗り越えさせるためなのか?」と空間に、守護霊さんに、神さんに問うていく。
そして、それがまるでロールプレイングゲームかのように、ステージを乗り越える楽しみを味わう。
そうやって、自分の中の悪い癖が抜けていくほど、現実は大きく変わっていく。
人としての器が試される
「石の上にも3年」
とはよく言ったもので、昔の人は本当によく『天の理(ことわり)』を知っていたんだなぁと感心するんだけれども、
どんなことでも、3年続けたら現実は必ず変わるよ。
3年、本気で目の前のものと向き合ったら、その人は普通の人の30年分の経験値を積むことになる。
神様の1日は、人間の100日、なんて言われもある(事実というより比喩)。
だから、逃げず真剣に向き合うほど、何かしら関連する才能や能力は、一人前に磨かれている。
そういう生き方をしていたら、とんでもないところまで行けるのになぁって思います。
だから、「嫌だ嫌だ」と言う前に、そもそも、捉え方を変える。
今の職場も、今の家族も、今の環境すべてが、生まれる前から、あなたの魂が選んできた結果。
(そう言うと、コロナも人類が選んできた結果に過ぎない。)
では、魂は何を学ぶために、
何を乗り越えさせるために、
その状況を生み出しているんだろう?
自分の中にある、悪い癖を糾(ただ)すために、こうして守護霊さんは、導いてくださっているんだろうと。
そのように、自分の器を広げる努力をする。
人としての器を広げれば広げるほど、それに合わせて現実も大きく変わっていきますし、それこそ、願いを叶える力も大きくなっていきます。
つまり、事実なので言ってしまうと、
「どれだけのものを受け取れるかは、どれだけの大きさの器を持っているか」
なのですよね、結局。
それはそうですよね。
器の大きさに準じてしか、量は決められないので。
だからこそ、不平不満、愚痴を言う前に、そもそも、自分の『在り方』を正していく。
嫌だと思うような現象がたくさん起こるなら、それは自分の中にいる魔物が、引き起こしているかもしれない。
その魔物をなだめ、飼いならすためには、自分がより大きな存在になる必要がある。
すべては自分が生み出している。
楽しんでるかい?愛し合ってるかい?
焦りも、不安も、何もかも一切は、自分の心の奥深くにあるものが勝手に生み出しているということ。
だからこそ、
『いかに楽しむ工夫をしていくか?』
この能力こそ、ボクらが磨いたほうがいいもの、だと言えるのですが、
つまり、自分が取り組むことを、どうしたら楽しみながら、取り組めるだろう?
その能力が磨かれるほどに、どんなピンチ、どんな窮地に追い込まれても、なんてことない、一気にV字回復ができるのです。
楽しみましょうよ。
楽しんでみてください、今の環境を。
まずは、そこから。
ボクが、みなさんに、ぜひともシェアしたいことは、
「ウツワ磨き」
だと捉えていく感覚。
自分に降りかかる出来事、感じたことを通して、学び、成長し、天地和合の大仕事にお仕えする器を作る。
キラッキラに磨かれた器にしていく。
最高の人生だなぁって思います。
だからよく、
「ブログを書いているんですけど、どうしても続かないんです・・・!」
というお声もありますが、自分なりに楽しむ工夫が足りないかもしれません。
それこそ、デザインを綺麗にしてみたり、文章を書く時の音楽を探してみたり、あるいは、イラストを使ってみたり、誰かに読んでもらったり、あの手この手を使って、楽しむ工夫をしていくことが非常に大事。
ボク自身、文章を書くのは大好きだし、話すのも大好き。
自分が学んだことを紹介して、みんなの人生がより良くなっていくのも大好き。
そして、ボクは常に、文章を書く時にしても、
「歓喜あふれる音楽」
を聴きながら、好きなフォントにして書いています。
昔はずっと“明朝”にしていたけれど、最近は、普通にゴシックにしてます。
なんか、新鮮な気持ちになる。
やっぱりボクは飽き性だということは、自分でもよく分かっているからこそ、自分なりに、自分がノれる好みなフォントを使ったりしてます。
そして、文章に限らず動画にしても、撮る前、撮っている最中、ずっと、これを見てくれた人たちが感動し、歓喜し、明るく軽く温かくなってくださっているところを猛烈にイメージする。
長い時には、30分くらい、イメージに使っていることもあります。
これが祈りと呼ばれるものです。
この「祈る」というのは、
「The 科学」
である脳科学のスペシャリストですよね、
それこそ、世界チャンピオンや金メダリスト、有名な経営者をたくさん育ててこられた脳研究のスペシャリスト西田さんでさえ、最終的に行き着いたのが「祈り」だと言います。
祈ることは、脳をフル活用するための、最も素晴らしい行為だと。
なので、、
というわけではないけれど、純粋に、ボクは動画を撮っている最中、文章を書いている最中でも、
これに触れた人たちみんなが、感動して、胸のところがブワァ〜って温かくなるようにと祈っています。
だからこそ、余計に楽しめるんですよね。
感動してくれるところを、想像しながら、心地よく書いていく。
そうやって、なんでもいいですから、何かしら、楽しむ能力は本当に大事です。
それは家事や育児でもそうだと思いますし、YouTubeを継続することでも同じ。
全てのことに言えるはず。
た・だ・し・・・!
ここで気を付けたいのは、「数字」に囚われないということ。
(正確には、分かりやすいものに踊らされないということ。)
つまり、アクセス数だったり、分かりやすい数字で一喜一憂しないこと。
これがまた難しいのですけれど、あくまでも、みんなを喜ばせていく。
例えば、先日、絵を描いている男性をコンサルティングさせていただくことがありました。
(それで食べていきたいという思いがあると。)
その男性は、自分が描きたい絵を書く、というスタイルでした。
あくまでも自分のスタイルを崩さない。
もちろん、そういった姿勢も大事ですし、何もそれが悪いというわけではありません。
ですが、その男性にとっては、そこに一種の固執をしてしまっているので、あえて、
「みんなが求めているものを感じながら提供する」
ことが、その男性にとって相応しい修行だったりします。
そうして、みんなが求めるものを理解した上で、自分のスタイルを確立していけばいい。
つまり、その男性にとっては、みんなの気持ちを汲み取って自分を捧げていく、ということが、修行だったりします。
もちろん、逆に自分のスタイルを貫いたほうがいい、という修行の人もいます。
あくまで、修行の道は人それぞれですからね。
というように、数字を追いかけるのではなく、数字を伸ばしていく過程での、
「自分の器を広げる修行」
だと捉えていくといいです。
もちろん、その通りなのですが..。
例えばブログを書くにしても、これって立派な「修行」です。
それこそ、わざわざ山奥に籠もって、滝行をし続けなくても、お手軽に、家にいながら、それと同等か、向き合い方によってはそれ以上の修行ができます。
だって、やっぱり途中で投げ出したり、向き合うのが辛くなったり、するじゃないですか。
それでも、逃げずに向き合っていく。
どうしたら、もっとみんなに見てもらえるだろう?
今の世の中は、どんなものが受け入れられてるんだろう?
どうしたら、今よりもっと、良くできるんだろう?
それを繰り返していく過程で、その人の器が磨かれていくと思うんです。
魅力、と言うんですかね。
そうやって、何か一つでも、本気で向き合っているものがある人って、なんかキラキラしていますよね。
なんかこう、味があると言うか。
それは、自分の肉体を痛めつけるような、そんな「派手な修行」をせずとも、相当、心のステージは上げられる。
総じて、ボクらは今、どんな状況であれ、その人に最も相応しい修行をしていると捉えてみる。
そして、その中で生まれる「葛藤」や「喜び」が彩る、人間味あふれる『ドラマ』を楽しめばいい。
そんな、楽しむ努力をして欲しいなって思います。
「努力」は本来、楽しいもんです。
もしも苦痛に感じるとしたら、それは「努力」というものを履き違えている。
本来、
努力とは楽しいものであり、楽しむこと自体が努力である。
と、ボクは信じてます。
皆さん状況は色々だと思いますが、どんな環境であれ、
そこから現実をより良くしていく修行を楽しんでいきましょうー!!
それでは、また書きます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
天晴れ
西野ゆきひろ