【清心洞察記 .4】一筋縄ではいかない高野山参拝

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

 

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

 

 

明日はいよいよ

ゆにわ塾で開催される

高野山団体参拝ツアーだ。

 

しかし

その数日前から

明らかになったのは・・

 

そう、台風14号の存在だ。

 

ボクも運営メンバーの一員であるため

もう数日前から事務や運営は

てんやわんや、である。

 

台風といえば

天候が荒れるものではあるが・・

 

じつのところ

天候だけではなく

運営陣は台風さながらの

大荒れ模様である。

 

一昨日には、

運営メンバー20名近く集まり、

深夜2時ごろまでの数時間

あらゆるパターンを想定して話し合った。

 

そして

リアルタイムで台風の状況を確認し

ギリギリでの判断をする必要がある。

 

旅行会社さんとのやり取り

ホテルの状況確認

来られる際と帰られる際の交通機関の状況

会場の時間変更

お客様へのご案内

プラン変更するお客様の対応 

など、事務メンバーは

やるべきこと山の如し、である。

 

実際に

これを書いている参拝前日には

事務には、大雨のごとく

降り積もる問い合わせの電話。

 

さまざまな部署から

ヘルプで電話対応に駆けつけるも

はるかに上回る電話の嵐。

 

不在件数を見ると69件となっていた。

 

参加者さんが700名に登るため

当然の現象であろう。 

 

ゆにわでは

「まかない第一」で生きているが

流石に、この時ばかりは

事務メンバーもご飯を食べる時間すらなく

やっとご飯を食べられたのは深夜0時だ。

 

結局、

2グループのうち1グループは

全行程開催中止となり別日に変更、

 

もう1グループは

当初の予定を変更して開催することになった。

 

開催中止の連絡をメールでしたものの

前日のため、もし見逃している方がいた場合

遠路はるばる集合場所へ足を運んでみると

誰ひとりいなかった・・・

 

では、シャレにならん。

 

ということで、

数十人で手分けをして

数百名に電話をかけて伝えていった。

 

この時間すでに

夜の22時を過ぎてしまっていたため

大変なご迷惑になると分かりつつも

万が一のことを考えてボクも電話させてもらっていた。

 

ほとんどのお客様は

心良く応対してくれて

別日程での参加をすると言ってくれていた。

 

しかし・・

 

中には、不貞腐れたように

「もう、なんか嫌なんでキャンセルしようかな」

と言われた方もいた。

 

こちらとしては

どうしようもないので

天候に変わって謝るばかりだった。

 

そして

なんとか数百名に電話で伝えられたものの

あと5名ほど、連絡がつかなかった。

 

もし、その方たちが

気付かずに現地に来てしまったら・・

 

という一抹の不安は消えない。

 

ということで

ある程度、ゆにわ塾の中で

顔と名前を知ってもらえている

ボクが電車で集合場所まで行くことになった。

 

もちろん

神様にお仕えする人間として

なんでも喜んでやらせていただくつもりだ。

 

 

だが・・

 

こうも高野山参拝は

一筋縄ではいかないものなのか。

 

というのも、

そのまた数日前には

お申し込み用のリンクが

突如、開けなくなったことがあった。

 

しかも、締切り間近で

一番、申し込みが増える時期にだ。 

 

原因を調べてみると

そもそも、ネットサーバー自体が

不具合でダウンしたとのことだった。

 

それでは、

こちらとしては手のつけようがない。

 

急遽、別のリンクを作成して対応した。

 

今まで数十回と参拝セミナーをやってきたが

これまで一度も起こったことはなかった。

 

他にも、

高野山参拝に近づくほどに

色んな部署で様々な問題が発生していた。

 

高野山の因縁なのであろうか。

 

1000名近くで参拝するというのは

見えない世界では

大きな影響がある。

 

霊界では、話題が絶えないであろう。 

 

それこそ光が当たるわけだから

当然、色んな因縁が出てくる。

 

ボクたちは

そういった因縁からくる問題や課題に

光を当て、祭り変えることによって

因縁を超えていくのだ。

 

それは、個人でも然り。

 

じつは

去年2021年の秋頃に

宇佐神宮へ団体参拝したが

その時も大変だった。

 

宇佐神宮は歴史が古く、

祀られている神様は

超がつくほど怖い神様だ。

 

戦国時代には

いくさの神としても崇められていた。

 

かの八幡大神様である。

 

しかし

怖い神様も

ただ怖いのではない。

 

父なる厳しさとしての怖さがある。

 

だから

ちゃんと自分たちも身と心を糺し

礼儀礼節をわきまえてお参りすれば

大きな愛で力を貸してくださる。

 

神位の高い高級神霊になるほど

甘い考えでは降りてきてくださることはない。

 

もしも

「アマテラスオオミカミ様のメッセージだ」

「セオリツヒメ様のメッセージだ」 

などと言い出している輩がいれば

それは99.9%ウソだ、保証する。

 

ほとんどの場合

本人の思い込み、空想であるか

あるいは

神に化けた低級霊か動物霊の仕業だ。

 

高級神霊にもなると

波動が繊細微妙すぎて

現実界の荒い波動まで

降りてくることはできない。

 

だから

次元を変えて仏として化身したり

御眷属をお使いになったり

龍神様をお使いになることが多いのだ。 

 

そういうことで、

真の神社参拝とは

「わたしを幸せにしてください〜」

「良い人と出逢わせてください〜」

などという

軽い気持ちでするものではない。

 

してもいいが、

ほとんどの場合

低レベルの意識に感応してくるのは

低級霊であることは知っておくことだ。

 

そういった低級霊は

もし願い事を叶えてくれたとしても 

交換条件として

あとで大変な取り立てをしてくる。

 

最悪の場合

寿命を大幅に要求されることもある。

 

とまぁ、

こういうことを書くと

怖いと思われるかもしれないが、、

 

大丈夫。

 

本物の神様と感応したいのであれば

方法がある。

 

それが、

「人々のしあわせを祈ること」

だ。

 

自分だけのしあわせや願いではなく、

神様の御心と沿うように

世の調和としあわせを願う。

 

そうすることで

神様もボクたちのミタマが顕現し

天命を全うできるように

応援してくれるようになる。  

 

人々を応援する人は

神様から応援される。

 

人々のしあわせを祈る人は

神様からしあわせを祈られる。

 

だから、

人に見返りを求める必要はないのだ。

 

何かをやって

その見返りに何かしてもらわなくても

むしろ喜んだらいい。

 

人から見返りをもらった分だけ

神様からの功徳は受け取れなくなる。

 

もっと神様を身近に感じ

神様と共に生きたらいい。

 

南洲翁にいわく、、

人を相手にせず、天を相手にせよ。

天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、

我が誠の足らざるを尋ぬべし。 

である。

 

今回のテーマでいえば、、

 

人を相手にせず

神を相手にせよ。

 

人の中に、神を見よ。 

 

神を相手にして己を尽くし

人を咎めず

我が誠の足らざるを尋ぬべし。

 

 

ゆきひろ