【TAO】人生の「苦しみ」メカニズム

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こんにち和。西野です。

全ては妄想です。

あなたの生きている世界は、
すべてあなたが勝手に作り出した妄想です。

「出たー!そっち系の話ね」

というでしょう。

でも、たとえばカルロス・ゴーンさんの事件。

みんな、

「マジくそ野郎だ!」
「死ね!」

などと文句を言っています。

彼らはなぜ、そんなに怒っているのでしょう。

そんなに怒って、疲れるでしょうに。

おんなじ事件や出来事を目撃しても、
怒り心頭する人もいれば、何も感じない人もいる。

怒りは、神道になると『邪気』の1つとなります。

とにかく、おんなじ現実を見ているのに、
常に怒ったり、誰かを批判したりする人もいる。

一方で、良き方向に捉えて心穏やかに生きる人もいる。

どちらも、見ているものは同じものなのに。

「あ、西野さん!捉え方の話ですね!」

確かに、捉え方の話でもあります。

が、今日はもう一歩踏み込んで、

「世界とは何か?」

というお話をしましょう。

繰り返す通り、自分が生きる現実、
『世界』というのは、自分が作り上げています。

これはもう、多くの人がご存知のことでしょう。

つい先日、僕が三重県の奥志摩を旅した時のことです。

宿にチェックインすると、

「夕日が見える絶景ポイントのイベントがあります」

と教えてもらい、そのままバスで5分ほどの海辺へ、
他のお客さん15人くらいで、その絶景ポイントに行きました。

絶景ポイントにつくと、
そこで僕の大好物である『焚き火』をしていました。

ですが、あいにく今日は
分厚い雲が多く、太陽の姿は見えません。

他の何人かのお客さんは、

「あぁ、、もっと雲が少なければいいのに…」
「せっかく夕日を見にきたのに〜」
「息ふぅ〜って吹いたらどかないかな〜」

なんて少し不満を漏らしていました。

確かに、その気持ちも分かります。

分かりますけど、僕の中ではもう、
それはそれは『絶景』でした。

素人の写真ですが。

 

赤き龍↓

 

いやぁ、焚き火もあるし、
雲がまた味を出しているし、

「敢えて直接、姿を見せない夕日」

というものに畏敬の念を感じていました。

とにかく、素晴らしい。

ずーっと見てしまいました。

まるで天下の女優さんを見るかのように、
ずーっとひたすら見惚れていました。

とても美しい。これぞ神の成せるワザなり。

そう感じていました。

この違いはなにか?

要するに、同じロケーションで、
同じ景色を目にしたところで、
見ているものは全く違う。

僕はその景色に美しさを見出し、
ある人たちは物足りなさを見ていました。

おんなじものです。おんなじものなのにです。

これが、人間というものです。

これは僕が神さんから教わったことですが、

「人はその宇宙での神ざぞ。そなたが神ぞ」

と言うのです。

これを翻訳すると、

人はそれぞれ固有の世界(宇宙)を持っていて、
その世界を作り上げているのは自分である。

だから、

『自分は自分の世界での神である』

ということ。

つい先日も、僕がタクシーに乗った時に、
それを一瞬で思い知らされ事件がありました。

(僕の中では”衝撃的な体験”でした。)

僕がタクシーに乗り込むと、
少し走り出しながら行き先を伝えていました。

ただ、僕もいまいち道順は分からないので、
覚えている範囲で場所を伝えていました。

すると、

「ご迷惑をかけたくないので、
ご住所をいただいてナビでもよろしいですか?」

と言われました。

もちろんです、ということで、
ネットでそこの住所を検索していると、
タクシーが止まりました。

ふと見てみると、少し先に信号があり、
僕は赤と間違えているのかな?と思い、

「あれ、運転手さん、青ですよ?」

というと、

「あいえ、住所をナビに打たせてください」

という答えが返ってきました。

ハッとしました。

つまり、僕は勝手に

「運転手さんは信号を間違えている」

という現実を作り出したのです。

僕らはこうやって、
自分の中での現実を作り出しています。

よく、

「誰かに悪口を言われている」

と思ってしまう人もいますが、
それも自分が勝手に作り出しています。

そうやって、勝手に自分で現実を作り出し、
その世界で苦しむのですね。

人が苦しむときというのは、
概して自分で苦しみの世界に飛び込む。

何かが起こる

自分のフィルターで捉える。

苦しむ。

この流れです。

これには僕も相当、苦しみました。

10年くらい前に、ある男友達から、

「ゆきひろの彼女みたよ!
なんか男たちも一緒に楽しそうだったよ」

と電話で伝えられたことがありました。

よくもまぁ頼んでもいないのに、
わざわざご親切丁寧に伝えてくれるものだな。

なんて思いますが、まぁ実際に
そういうことがありました。

で、その時の僕は未熟も未熟だったので、
自分の知らないところでアイツは・・・!!!

と勝手に妄想して、
急に怒りがメラメラと湧き出してきたのです。

馬鹿ですよねぇ。

別にただ遊んでいただけなのに、
そこから勝手に妄想を作り出して怒りがわき、
自分で苦しみの世界に入っていく。

恋愛だけでなく、いつも僕はそんなことを
僕はずーっと繰り返してきました。

そうして、みずから苦しいほうへ、苦しいほうへ、
人生を歩んできました。

ですが、今は本当に思うのです。

苦しみは自分で生み出すのだと。

神さんもよく、

「この道には苦(く)はないのざ。苦と思う心があるのざ」

と教えてくれているのですが、
本当に、仰る通りでございます。

苦しみというものはこの世に存在せず、
もしあるとしたら、それは”そう思う心”が存在している。

自分で勝手に苦しみの世界を作り出し、
その世界の中でもがき苦しむ。

神さんから見たら、

「この子らは、一体なにをしているんじゃ」

と思うでしょうね。

なんて滑稽なと。

リストカットしてしまう人を
あざ笑ったり馬鹿にしたり、気持ち悪がったりする
昔の僕のような人もいます。

でも、馬鹿だねぇ。
自分も全く同じことしているのに。

という感じです。

全て、自分が自分を傷付ける。苦しめる。

自分で勝手に、

「この人はきっとこういう人だろう」

という現実を作り出し、それとは違うと
幻滅して、ショックを受ける。

人は誰しもがそういうことをする。

大切なのは、全てをそのまま受け入れられるか。

これは僕らの永遠のテーマだと思います。

誰しもにそういう部分はある。

それを受け入れられるか?です。

もし受け入れられないという人は、
自分の中に、何か自分では認められない面がある人。

その自分を認められないから、
他の人のことも認められない。

僕もまだまだ沢山ありますけどね。

これは重要なテーマの1つです。

これを話し出したら長くなるので、また今度にします。

が、とにかく今日、僕が言いたかったのは、

『あなたは自分の世界の神である』

ということ。

だから、どんな世界だって作れるし、
どんな世界を生きるかも全てあなた次第。

怒り、憎しみ、恨み、苦しむ世界に生きるのか、
それとも、喜び、楽しみ、嬉しみ、感動する世界に生きるのか。

それは全て、あなた次第なのです。

あなたは、今この瞬間からでも、
この現実界で『天国』を生きることができるのです。

ふと外に目を向けてたら、
そこには無限大に広がる天国があるのです。

それは全て、あなた次第だということでした。

 

写りし世 心のままに現れる
ひとりひとりが神となり
大き宇宙を成り鳴らす

人の心が荒れしとき
天も怒号を唸らしめ
悟しの経綸 知らすとき

ミロク弥勒と唄われて
いつその時が来たりしか
文句ハッタリ抜かせども
写る世はみな己の心

曇る心に曇り空ありしことぞと気付けたら
奥に天晴れ見つけたるかな

 

それでは今日もありがとうございました。

弥栄

西野ゆきひろ

 

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