こんにち和。西野です。
人は、小さなことを大切にしません。
どうしても、でっかいこと、派手なこと、
目立つことばかり求めて生活しようとします。
この宇宙は素粒子ほどの小さきものたち、
いや、
もっともっと小さいものたちで
作られていることをすぐに忘れます。
ですが、その小さきものが1つ無くなるだけで、
この世界は存在しなくなります。
つまり、絶妙な割合いで存在していて、
どれか1つに偏っても存在し得ないのです。
もし万が一、素粒子の1つがこの世から消えたら、
もうこの現実は成り立ちません。
それくらい、小さなことでも、
実は大きなことと同じくらい、
なくてはならない存在です。
何が言いたのでしょうか?
そう、僕らはもっと小さなことまでも、
大切にしていかなくてはならないのです。
こういう話をすると、
「いちいち小さい事は気にすんなって」
という言葉が頭に浮かんできます。
が、ここで言いたいのは、
「小さいことも誠実に捉える」
ということ。
正直、僕も今まではずーっと、
「いちいち小さい事は気にしない」
「結果、派手になればいいっしょ」
というスタンスで生きてきました。
確かに、小さいことをいちいち
ネガティブに捉えていたらキリがありません。
が、その結果、僕はそれを自分なりに捻じ曲げて、
「小さいことは無視する」
「反対意見は一切受け付けない」
という価値観を持ってしまっていました。
その結果、様々なものを失ってきました。
そして最近思うのです。
小さいことを無視するのと、
小さいことも“誠実”に捉えるのとは似て非なるものだと。
そう思うのであります。
確かに、例えば批判やクレームなんて言うのも、
いちいち「あぁ辛い」とか気にしているようでは、
なんにも成し遂げることは出来ません。
ですが、ここで大切なのは、
その批判やクレームを無視するのではなく、
それが正当なものであったのなら、
ちゃんと誠実に受け止めるべきだということ。
中身を確認せず、一色タンに
「これは相手がバカなんだ。無視しよ」
とカテゴライズするのではなく、
しっかり中身を確認してから
フィルタリングするべきです。
もし、中身を確認せずに、
「こういうヤツはクソだ」
と一括りにしていたようでは、
その辺の批判やクレーマーとやっている事は同じです。
ちゃんと自分の目で中身を確認する事なく、
あれやこれやと上っ面を叩く人々と同じです。
確かに、自分を批判する言葉を
目にしたり聞いたりすると、
「イラッ」
とする気持ちも分かります。
ですが、もうその時点で、その出来事を
ネガにフィルタリングしているのです。
だから最近、少しずつですけど、
僕は自分に対してムカつくことを言われても、
それに腹を立てることが少なくなりました。
そして、できる限り「ニュートラル」で受け止め、
1つ1つ誠実に向き合うようになりました。
ここでポイントなのは「ニュートラル」です。
これは、心地よい言葉を言われた時も、
できるだけ意識しています。
「自分にとって心地よいを言ってくれる人は好きだ」
と判断していたのでは、
そこに成長は絶対にありえないからです。
嬉しいことだけ、自分を褒めてくれる人だけを
好きになる事は避けるべきです。
そうではなく、できる限り、
たまに「イラッ」とさせられる人だったり、
痛いことを言ってくれる人“も”嫌いになるのではなく、
あくまでニュートラルに捉えてみる。
すると面白いことが起こり始めるのです。
例えば先日、富士山が間近で見られる
河口湖の富士ビューホテルに泊まった時のこと。
チェックインするときに、
和食屋さんで夜ご飯を予約しました。
ただその日は混んでいるということで、
19時からしか予約できないとのことでした。
で、予約した19時に行って、
和食屋さんの受付で部屋番号を伝えると、
紙を確認しながら急に焦り始めました。
あぁ、伝達ミスだな、と思いました。
「お名前よろしいですか?」
と聞かれ、西野です、とお答えすると、
再度同じ行動をして、さっきよりもっと焦り始めました。
すると、
「このまま少々お待ちください!」
と言い残し、慌ててホテルのフロントに
掛けていきました。
はい、予約が伝わっていなかったのですね。
正直にそう言ってくれたらいいのに。
と思ってしばらく待っていると、
フロントから戻ってきては、
「申し訳ございません。
恐れ入りますが、只今より大至急
お席をご用意しますので、そちらの椅子で
少々お待ちいただけますでしょうか。」
と言われ、あろうことか僕の腕を
直接触って椅子に誘導し始めました。
これがあり得ない事は、分かる人には分かるかと。
ですがその時も僕はニュートラルに、
「はい、もちろんお待ちしますよ」
と笑顔で答え、言われるがまま
10分ほど待っていると、
「大変お待たせしました!どうぞ、こちらへ」
と言って席に案内してくれました。
そして椅子に座るとすぐに、
受付係:
「この度は本当に申し訳ございませんでした。」
西野:
「いえいえ、とんでもございません。構いませんよ」
(あくまで怒りもせずニュートラルでした。)
受付係:
「あの、もしよろしければですが、
お飲物のほうは今回、ホテルから無料で
差し上げますので、よかったらお好きなものをどうぞ」
西野:
「え!良いんですか?」
(一瞬、“ここで徳を使いたくないなぁ”と思いましたが、
今回は素直に好意を受け取ろうと思いました。)
「じゃあ、純米酒でもいいですか?」
受付係:
「もちろんです!一合でも」
西野:
「えぇ、ありがとうございます。じゃあ遠慮なく、、」
という事で、お言葉に甘えて
『甲斐の開運』という純米酒を無料で一合いただきました。
この時、昔の僕だったら、
「は!ラッキー!
じゃあ、せっかくだから一番高級な純米大吟醸にしよっ。
当然じゃん、向こうが悪いんだからさ!」
とか思っていたでしょう。
ですが、今回の僕は違いました。
敢えて、高級大吟醸ではなく、
普通の純米酒を選びました。
それが僕なりのホテルに対する感謝の気持ちです。
そうやって今回の
「予約をしたのに出来ていなかった」
という出来事を、あくまでも
ニュートラルに捉えたのです。
大多数の人だったら、ここで不機嫌になり、
お店のレビュー(匿名)で文句を連ねるでしょう。
一休とか、そういうレビュー沢山ありますからね。
「部屋の景色からフロントの屋根裏が少し見えて、
これマジどうにかして欲しい。あれはない。」
とか、
「ホテルマンの対応が、価格に見合っていない」
とか、
「ウェルカムドリンクがなかった。
他の人は出してもらっていたのに!」
とかそんなんばっかです。
でも、僕はあくまでニュートラルに捉える事で、
余計な怒りが湧くこともありませんでした。
むしろ、思わぬサプライズだったので、
すごく嬉しい気持ちになれたのです。
しかも、その日は誕生日の次の日だったのでふと、
「あれ、これってもしかしたら、
神様からのプレゼントかもしれない」
と思えてきたのです。
だって、今までも数れきれないほど
色んな旅館やホテルに宿泊していますが、
こうして予約が出来ていなかったなんて、
生まれてこのかた、一度も経験した事がなかったのです。
にも関わらず、この日はなぜか、
予約が入っていなかったことで、
ホテルから純米酒を無料プレゼントしてもらった。
いやぁ、神様にも本当に感謝です。
こう思えるだけでも、
僕のエネルギーがブワッと上がります。
ですがもし僕が、いちいち小さいことを
ネガに捉えてイライラしていたら…。
その日本酒も「当たり前だろ!」とか思って、
ホテルや神様からのプレゼントを
踏みにじっていたかもしれません。
そして、ホテルに対して
不快感だけが残っていたかもしれません。
ですが、あくまで1つ1つを
ニュートラルに捉える事で、
とっても嬉しく清々しい気持ちになれました。
この違い、お分かりでしょうか。
つらつらと何が言いたかったのかというと、
小さいことをネガティブに捉えるのではなく、
あくまで全てを
『赤子のような心(ニュートラル)で捉える』
訓練を一緒にしていきましょう、ということ。
そう考えると、小さい物事というのも、
派手なことと同じくらい大切になります。
あくまで、全てニュートラルなのですから。
だから、メルマガ1通にしたって、
自分が邪気まみれで完全に品下がっている状態で
書くことも避けましょう、ということ。
今日のこのメルマガ記事だって、
僕からしたら、過去なん千通と書いてきた
その中の1つでしかありません。
が、だからと言って惰性で
テキトウに書くのではなく、
あくまで誠心誠意を込めて書いています。
食事もそうです。
どうしても忙しくなってくると、
毎日の食事がテキトウになっていき、
「空腹を満たすだけの行為」
としか捉えられなくなっていきます。
が、冷静に考えたら、
この食べる行為というのも、
神聖極まりない行為です。
僕らの命を繋いでくれる行為に他なりません。
呼吸だってそうです。
ほとんどの人は無意識に呼吸しています。
が、この呼吸が出来なければ、
息絶えるわけですから、それこそ神聖極まりないものです。
性行為も同じです。
ふと目を覚ませば、
そこら中にあるものは、
実はとても神聖なものなのだと気付くことができます。
そして、僕はこのライティングにしても、
神聖な行為だと思って取り組んでいます。
すると、読んでくれた人のエネルギーが上がり、
魂の肥やしになる事は当然です。
が、他でもない自分自身の
エネルギーが上がり、魂が肥えていくのであります。
大きなこと、派手なこと、目立つことばかりに
目がいきがちなそこのあなた。
僕らと一緒に、日々の小さなことから
感謝し、大切に向き合っていきませんか?
少しずつ、少しずつ。
という事で今日はこの辺で。
今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
弥栄ましませ
西野ゆきひろ
追伸:
ちなみに、
「書くネタがないです!ネタ切れします!」
という人もいます。
が、こういう気持ちで向き合っていたら、
ネタなんて一生困る事はありませんよ。
いくらでも書けるようになります。
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