【TAO】「いつもの日常」を「最高の日」にする

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この記事を書いている人
Webセールスライター
西野ゆきひろ

この変わった男を知らない人はこちらのプロフィールを参考にしてください。

変態プロフィール 
被害者の声

 

こんばん和、西野です。

毎日、毎日、同じことの繰り返し。

朝起きて、準備をして、働いて、
洗濯物を干して、お風呂に入って、
洗い物をして、ご飯を食べて、うんちして。

毎日、おんなじことの繰り返し。

「こんな毎日になんの意味があるの?」

そう思う人もいるかもしれません。

あるいはビジネスをしている人なら、
コツコツとブログ記事を書いたり、
商品リサーチをしたり、

「これって本当に意味あるのか?」
「こんな小さいことやってて成功できるのか?」
「自分はもっと大きなことをしたい!」

そう思う人もいるかもしれません。

が、小さいことをおろそかにする人は、
大きなことを成すこともできません。

何を持って「大きい」と言うのかは、
人それぞれ尺度が違います。

が、考えてもみてください。

ぼくの会員さんには、主婦の方も多いわけですが、
子供を大人に育てるというのも、それはとても大きなことです。

文字通り、大きな人にするわけですから、
とても大きなことです。

たくさんの苦難もあると思います。

そして、子供を大人にするというのは、
毎日、毎日、小さいことの繰り返しです。

この「毎日」というのは、
全く同じように見えて、実は刻々と変化しているのです。

子供の成長が分かりやすいですよね。

そして、これは子供だけではなく、
ぼくら大人も全く同じなのです。

つまり、物質的(肉体的)には
変わらないように見えても、
時と共に必ず変化しているのです。

この太陽系は常にグルグルと巡っていますが、
しかし、同時に少しずつ移動しているのです。
回転ではなく『渦』なのであります。

ですから毎年、春夏秋冬と同じように
巡ってはいるものの、同じ春でも去年の春と
今年の春は違うものなのです。

人はその「一瞬」しか見ていないから、
変わらないように思えてしまうのです。

これは太陽を見れば分かるのです。

ほんの1分ほど太陽を見た場合、
太陽はその場から動いていないように見えます。

しかし、例えば夕日を10分でも眺めていたら、
刻々と沈んでいくことが分かるのです。

人生もこれと同じなのです。

つまり、その「一瞬」の部分だけを見たら、
何も変わっていないように見えます。

が、それは太陽や銀河と同じように、
刻々と、確実に変化しているのです。

ですから、1日として同じ日はないのであります。

そうやって大局的に物事を俯瞰できないから、
例えばブログ記事を更新していくことを取っても、

「これって本当に意味があるのか?」
「アクセスも来ないし、何も変わっていない」

などと落ち込むのです。挫折するのです。

ですが、1記事ずつ更新していくたびに、
刻々と変化していることを理解してください。

あの巨大なピラミッドだって、
1つ1つの小さな石が積み重ねられているのです。

人はどうしても、派手なこと、大きなことに
目を奪われるのですが、よく見てみてください。

この世の全ての「大きなこと」というのは、
小さなことが積み重なって成り立っているのです。

大企業にしても、一人一人がいるからこそ、
そして小さな業務があるからこそ成り立っているのです。

こんなに巨大に見える地球だって、
全ては目にも見えない小さな原子が集まって
この巨体を生成していることを知ってください。

人は「小乗の行(ぎょう)」と言って馬鹿にしますが、
小乗があるからこそ大乗があるのです。

小乗というものがあったからこそ、
大乗というものが現れたのです。

つまり、ぼくらの人生というのは、
毎日の小さな積み重ねであるのです。

見た目に惑わされないでください。

成果物や物質だけに惑わされないでください。

囚われるのは狭い心の人間です。

もっと、自分の「中」に目を向けて、
その微細な変化を大事にしてください。

小さな変化が、やがて大きくなるのです。

ぼくらの寿命というのは、
自分で決めることはできません。

全て神様が決めることです。

いつまで生きるか、いつ死ぬか、
全ては神様が握っています。

そして、今この世に存在できているということは、
神様に存在を許されている、ということです。

なぜ存在が許さがれているのか?

それは、必ず「お役」があるからです。

お役がなくなるとき、
命というものはなくなるのです。

これはぼくら「人間と物」の関係と全く同じです。

ぼくらは、その物が必要なくなると、
それを捨てたり、再生して次のお役へと変化させます。

あるいは、扱いが悪ければ壊れてしまい、
その物の命はなくなります。

これは「神様と人」も一緒なのです。

つまり、人は物にとっての『神』であり、
同じように神は人にとっての『神』なのです。

ですから、人と物との関係のように、
人は常に『神』という存在に生かされているのです。

命を頂いているのです。

そして、自分に与えられている目の前のものを、 

「こんなの無意味なんじゃないか?」

なんてお粗末に扱わないでください。

ぼくは過去を振り返れば、もうすでに
死んでいてもおかしくはないほどの人間でした。

最低な人間でした。

人を騙してお金を稼いだこともしました

こんな人間を、神様は生かしてくれているということは、
これはお返ししなくてはなりません。

人様は神様です。

周りの人にたくさんの手助けをもらったぼくは、
それを世の人にお返ししていかなくてはなりません。

周りになんて言われようと、ぼくなりの方法で。

ぼくは生かしてもらっています。

ヒドいことをしてきたにも関わらず、
こうして絶景を見せてもらったり、
美しい夕日を見せてもらったり。

人の優しさに触れたり、
誰かの感謝をもらえたり。

こんな素晴らしい恵みをもたらせてくれています。

今まで雨に当たれば「最悪」でしたが、
今では自ら傘も刺さずに雨に打たれにいきます。

(時と場合によります。)

雨があるからご飯をいただけるし、
雨があるから天晴れの素晴らしさを実感できます。

こんな恵みをいただいている以上、
お人の役に立っていける人間へと目指すことが、
身を捧げる、身施(しんせ)だと思っています。

そのためには、毎日の小さなことから。

いつもと変わらない曇った朝でも、
いただいた命に感謝して、美味しいご飯を頂いて、
出来るだけ周りの人の役に立てるようにする。

目が合ったら微笑むように心掛けたり、
自分の中で恨みや苦しみという感情を手放すよう心掛けたり。

毎日、出来る限り良い心の状態でいられるように。

それが、「毎日の鍛錬」であり、
そんな毎日が人生を作るのです。

ご飯も、お風呂も、掃除洗濯も、
そういう毎日の小さな積み重ねで人生は出来ているのです。

「派手」なことに惑わされないでください。

人はどうしても「派手」な生活を見せつけられると、
それと比較して劣等感を感じ、邪気が発生します。

が、人と比べて落ち込む必要などないのです。

あなたにはあなたの人生があるのです。

代わり映えのない毎日を大事に、
小さく地味なことを大切にしてください。

それがやがて、あなたにとって
大きな大きなものへとなるのです。

今の自分には想像すらできない
未来へと繋がっていくのです。

「いつもの日常」こそ大切に。

 

人々は 小さきものとあしらえど
宇宙一切 成り立たす 尊き神のお仕組みぞ
一人一人が集まりて 一家一国なりしこと
よくぞお胸に刻みたれ 
一(いち)が万(よろず)と成りにけり

 

それでは、今日もありがとうございました。

弥栄! 

西野ゆきひろ

追伸:

昨日から愛知県の碧南市にて、
深田先生の整体教室のため名古屋に泊まっているのですが、
シラフで名古屋の街を歩いたのは初めてです。笑

とても綺麗なんですね。

あ、元ガングロギャル2児の美人ママ、
とっても素敵なメールをありがとうございました。

碧南は所縁のある場所でしたか!

ブログも拝見しまして、
素晴らしい記事を書かれていますね。

みんなの参考になると思うので、
ご紹介しておきます。

主婦ブロガーペコちゃんだがや