こんにち和。西野です。
最近、よく思うのです。
その人と話をしているときには、普段その人がどんな存在で在るのか、実はぼくらは気付いている。
無意識に、非言語の情報としてキャッチしている。
そう、ぼくらは言葉以上の情報(エネルギー)のやり取りをしている。
だから、その人の名前もなにも分からなかったとしても、その人の背景をキャッチし、それを自分の過去のデータと結びつけ、
「この人はこんな人だろうなぁ」
という第一印象を決める。
これはぼくら誰しもがやっています。
ですが、比較的にたくさん色んな人と接してきたので、どんな人でも受け入れやすい体質です。
ぼくは昔、約5年ほど性風俗業界で働いていたことがあります。
そして、その時はもう1日3人とか、毎日新しい面接の子はやってくる。さらに、お客さんも1日100人近く来店する。
さらにさらに、毎日10〜30人の女の子が出勤して待機所で待機している。
そんな世界に居たものですから、それはもう膨大な人たちを見てきました。
例えば、昼職の面接官とかであれば、いわゆる世の中的には表の面であり、『陽』です。
しかしぼくの方は、社会の歪(ひずみ)から生じた、人間の精神性が堕落した「欲と憎」で作られた『隠』の世界です。
その世界で、ずーっと沢山の人たちを見てきました。関わってきました。
男性の従業員は、普通の社会では通用しない、あり得ないような業務にショックを起こし、1日目でそのまま辞めていく。そんな世界です。
そんな中で、ぼくはガムシャラに生きてきました。
人にとって何かに打ち込んだ青春とも呼べる時代は、まさにぼくにとっては風俗業界だったと思います。
そして、その中で会う人々は、その多くがエネルギー切れで、常に疲弊していて、品下がっている状態です。
すぐに体調も崩します(ぼくらは常に誰かが体調不良で、今はしばらくお世話になっていませんが、ぼくもしょっちゅう病院に行ったり、救急車で運ばれたこともあります…。)
常に、
疑心暗鬼、恐れ、憎しみ、妬み、悲しみ、見栄、そんなものばかりでした。
もちろん、中には希望を持っている素晴らしい人もいましたが、それもごく僅かです。
そして、ぼくも人間の『隠』の世界に、どんどん染まっていきました。
そして、”ふつう”の感覚が崩壊しました。
社会の闇、これぞまさに現実。綺麗事のない、利用し、利用される世界。
そんな世界で生きてきたからこそ、だからこそ、ぼくはその反動で、光を求めるのかもしれません。
「絶対に底辺から今の世の中をひっくり返してやる」
って心が強いのですね。
とにかく、ぼくはそんな世界に生きてきて、その中で沢山の人と接し、特に肌で思うのです。
ぼくらは、
「誰もいないときにどんな存在であるか?」
ということがその人を決める、ということ。
いくら目の前で取り繕っていたって、無意識には、普段、誰もいないときの「素の自分」というものが出ています。
そういう非言語の情報キャッチに敏感な人は、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションを取るのが上手。
逆に、空気を読めない、壊してしまうという人は、この無意識での非言語情報をキャッチすることが苦手です。
ぼくらが人前で緊張する時というのは、決まって
「自分はみんなにどう思われるだろうか?」
と思ってしまっている時ですよね。
失敗したら恥をかく、笑われる、馬鹿にされるかも。
そういうときには、決まって緊張してきて、何にも喋れなくなる、つまりコミュニケーションが苦手になってしまいます。
だから、周りからはどう思われるかをいかに手放すか、が大事なんですけど。
とにかく、その人と接していたら、その人が普段どういう人なのか、ある程度のことはキャッチできるようになります。
つまり、いくら着飾ったところで、ぼくらは「中身」を見られているということ。
着飾っていたとしても、すぐに分かります。人間性というのは雰囲気、空気で滲み出ています。
どんなに綺麗に化粧して、妖麗になったところで、一緒にいるときにすぐにキレるような人なら、まずぼくは遠慮しておきます。
だから、話していて軽い人とか、あるいは言葉に重みがある人っていうのは、言葉にその人の普段の在り方、「人間性」が乗っかっているから、なんかこの人軽いな、重いな、というのを無意識にキャッチしています。
しかもそれは、言葉だけではなく、ぼくらはそのいで立ちの「空気感」でも伝わっているということ。
つまり、どんなにカッコ付けても、どんなに化粧を完璧にしても、結局、やはり最終的には、
「普段、誰もいない1人のときに、どんな自分でいるか?」
が全てだということ。
もちろん、見た目を良くすることは意味がない、と言っているのではありませんよ。
清潔感というものは本当に大切なので、最低限、見た目を意識していくというのは大事です。
パジャマで人前に立ってセミナーは出来ないでしょう。
だから、清潔な格好をするのも大切なのですけど、それ以上に、
『誰もいない自分1人のときに、どんな自分でいるか?』
が何よりも大事だということ。
これをつくづく最近、思うんですよ。
その人の人間性って、にじみ出ますからね。
だから例えば、いつも周りの文句ばっかり言っている人は、接したときにすぐ分かります。
あるいは、平気でゴミをそこかしこにポイ捨てしている人も、その人間性が表れます。
いくらカッコつけたり、取り繕ったりしたところで、だいたい分かります。
それが顕著に現れるのがメルマガやブログ記事。
ぼくらは文章を読んでいるときにも、その文章以上にその人間性を無意識に感じ取っています。
特に、文章を読む機会が多い人ほど、その能力がどんどん敏感になっていきます。
だから、もし自分が周りの人に対して影響力をつけたいのだとしたら、話している人を感化できるような人間になりたいのなら、
「普段、誰もいないところでこそ、どんな存在であるか?」
ここが全てになってきます。
誰も見ていなくても、掃除をして、ご飯に感謝をして、他人の幸せを祈る。
そして、普段から周りに良い気を発しようと意識して生活する。
こういうことをしている人は、自然と深みがにじみ出てきて、話していてもすぐに分かります。
話していてすぐに分かります。
そういう人ほど、
「あ、この人は魅力的だな」
って思います。
みんなに見られないところでは、酒池肉林をほうばる人とかも、”空間”に敏感になればすぐに分かります。
って前のぼくがそうだったんですけどね。笑
想像してみてくださいよ。
そりゃあもう、アニメや映画などに出てくるような、酒に溺れて、女たちをはべらかし、自分の欲望そのままに場を荒らす。
あなたは、そんな人のメルマガ読みたいと思いますか?笑
とか言いながら、白状すると、ぼくも経験していたその一人です。まさに絵に描いたように。
酒や女の子に溺れた時期もありました。
ですが、今ではこうして神さんと共に生きるようになって、やっぱり強く思うのですよ。
優しくて周りを助けようとしている人と一緒にいたいな〜と。
そして嬉しいことに、ぼくの周りには、そういう神さんとか、周りの人を労わる気持ちを持っている優しい人たちばかりです。
風俗時代もそうですし、罪を犯していたときも、自分の周りには同じく酒池肉林の人たちです。
この世が全てそうなのだと思えてしまうくらいに。
ですが一歩、そこから踏み出してみたら、こんなに素晴らしい世界がある。
そういうことに気付けるのです。
なので、もしあなたが、
「自分の周りには嫌な人しかいない」
と思えてしまうのだとしたら、それは他でもない『自分自身がそうだから』です。
自分自身がそうだから、周りの人もそういう人になり、そういう人が集まってくるのです。
認めたくないですよね。認めたくないですけど、それは事実なんです。
ぼくらは常に、宇宙に情報を発信しています。
そして、誰といようといまいと、どのような自分でいるか。
これが変われば、少し時間は掛かっても、あなたの周りは必ずそういう世界になる。お約束します。
1人でいるときこそ、どんな自分でいるか。
今日は以上です。
ありがとうございました。
弥栄ましませ
西野ゆきひろ
西野ゆきひろ
この変わった男を知らない人はこちらのプロフィールを参考にしてください。
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