最近、公開メルマガ用のブログ記事書いてますね。正直、やる必要あることはまだたくさんあるんですけど。。
ですが、なるべく多くの人にとって、
「人生の何かしらに役立つ」
ことを“今だからこそ”書き記しておけたら、、という感覚があります。
タイムトラベラーの証言
そんなこんなで、昨日までの2日間、湯河原温泉の超レトロな旅館で一泊二日の催眠術合宿をしました。
いや、ガチでレトロというか昭和なんですよ。笑
ブラウン管が置いてあったり。笑
昔のインベーダーゲーム台があったり。
90年代の便所だったり。笑
そんな感じで、とにかく昭和な旅館さんで、本当に色んなことを考えさせられました。
なんか凄く懐かしいし。
ドラえもんのダイムマシンに乗って、1980年代へとタイムスリップしたような体験でした。
でも本当に、“いま”昭和の頃を経験したからこそ、いまの時代の便利さに驚嘆しました。
例えば私はよく色んな地方に行くのですが、そういうときに泊まるホテルや旅館って和風とかでもすごく「近代的」なんですよね。
だから、シャワーもトイレも凄く便利だし、当然、ウォシュレットも付いてるし。笑
私のような、今の時代に慣れてしまっている人は、色んなものが当たり前になりすぎていて、どんどん周りのことに感謝を忘れます。
そして、不足を求めてしまいます。
隠しておきたいことですが…
恥ずかしいことをわかったうえで、ハラの底から正直にお話ししますが、私は今まで自分と同世代の人が自分より成功したり、愛する家族と幸せになったり、そういう話を見たり聞いたりすると、悔しくて嫉妬心を持ってしまう人間でした。
自分より幸せな人を見ると、その人の欠点を探して悪口を言ったり、クソみたいなプライドで負けを認めないように相手を批判するような考えを持っていました。
マジでくだらねぇです。
なんで、人は自分より幸せそうな人を見たら、相手の失脚を喜んだり、揚げ足を取ろうとしてしまうんでしょうね。
本当にバカバカしいというか、やっと気付けましたよ〜。。29年弱かかりました。
どれだけ自分が恵まれているのかを忘れて、あれは足りないとか、ここがダメだとか、文句ばっか(不足ばっか)吐いてました。
でもいま、こうして当たり前のように、ご飯を食べて安心できる場所があるって、本当に恵まれているんですよね。
温泉に入れるってことだけでも、本当にありがたい、感謝感謝です。
人がなくなると即死するモノとは?
最近、とある有名な宗教家の本を読んだのですが、その人の本を読んでいたらまさに、
「自分はなんて恵まれているんだ…」
と痛感したんですよ。
その人は山で一週間、なんにも食べることも飲むこともできない状況になったことがあるそうです。松の葉につく水滴すらも。
そんな極限状態になったからこそ、いつも当たり前のように使っていたお湯や食事、衣服に感謝したと言います。
ただ、もっと感謝したのは『酸素』です。
人間の体は、5〜7日間は、食事や水がなくても生きていけると言われています。
ですが、酸素だったらどうでしょう。
3〜4分でもなくなったら死亡です。すぐ死にます。
それくらい、酸素というのは私たちの命にとって重要度の高いモノ。
だからこそ、こうやって絶対的に当たり前のように酸素を吸えることに心から感謝したのだそうです。
なんと、そこまで。。
面と向かって言えないこと
私にはその境地を理解することは難しいですが、でも私の心が、この人の言っていることを無視しませんでした。
またまた私の胸にズシーンと響くモノがありました。
もちろん、贅沢することに対して1ミリも悪を感じないのですが、ただ感謝することって本当に大切だな、と思いました。
遊んでくれる仲のいい友達。
「西野さんに会いに来ました!」と言ってくださる方。
教えてくださる先生、メンター、家族、仲間、出会って影響を与えてくれた人たち。
炊きたてのご飯、新鮮なお水、ふかふかの布団。
自分の身の回りにある当たり前の存在に、心から感謝の気持ちが湧いてきます。
これを読んでくださっているあなたも。
いつも本当にありがとうございます。
究極の安らぎを手に入れる方法
私も含めてみんな、
「今よりもっと幸せになりたい!」
って思ってしまいがちです。
ですが、実はすでに幸せであり、そこに気付けるかどうかは考え方次第なんですよね。
目の前にあるものを見るときに、考え方、見る角度を一寸(ちょっと)ズラすだけでとんでもなく穏やかな気持ちになれるのです。
シンプルに、白いご飯にお味噌汁と、目玉焼きと納豆が食べられたら幸せです。
ついこないだ、京都の綾部という山の中に神道の合宿に参加しにいったのですが、そのときの朝ごはんがまさにそれで、
それだけなのに本当にご飯がおいしくて、めちゃくちゃ感動したんですよ。
もう、
「あぁ、これだけで幸せだ…」
って涙ぐんでしまったくらいです。うん、大げさじゃないですよ。
まさにそういう感情になりました。
しかも丁度、その日は台風が来ていて、その山一帯に避難警報が出てましたが、その建物は心配がなく、ゆっくりと気持ちの良いお風呂に入ることができました。
もう、それだけで感謝です。
つくづく実感します。
私たち人間というのは、どうあがいたって大自然には勝てません。
暴風雨、雷、大地震、大津波、、
人間がどれだけあらがっても自然の力には勝てません。
酸素様にも勝てません。
そう考えると、私たちは
「なにかに生かしてもらっている」
とも言えるのかもしれません。
少なくとも、私は最近そう思っています。
今まで色んな経験をしてきて、何度、死んでもおかしくない瞬間があって、それなのにこうして生きていられて。オイシイご飯を食べられて、エッチなこともチョビッとだけ考えられて。
本当に自分は恵まれているし、生かしてもらってるんだなぁと思えます。
まぁ正直、今までは人の目を気にして私ハッキリ言えなかったのですが、
最近、私は世界や日本古来の“本当の”歴史、一子相伝の武術、神道、催眠、物理学、心理学、脳科学、東洋医学、、
とにかく色んなことを学び、研究すればするほど、
「神様への信仰心」
というものが出てきたんです。
こんな、両腕に刺青ガッツリ入っているくせに。ドラッグにハマってたくせに。逮捕されたこともあるくせに。
そんな処理に困る廃棄物みたいな人生を歩んできた人間が、なんと「神様」とか言い出すのです。
まぁなんとも不思議な世の中です(自分のことです..)。
もちろん、まったく理解できない人もいるし、笑われたりネタにされるかもしれません。
それはそれで私も嫌いじゃないんですけど。笑
とにかくいろ〜んな経験をして、昨日とサヨナラしていくたびに、『信仰心』というものが深くなっていくのであります。
とはいえ、もちろん私もまだまだ20代後半の“まっさかり”なオスですから、、
女の子のことも気になります。笑
デリヘルに行くことだってあります(独り身だからいいでしょ笑)。
だけど、私の心の中では、
「神様はいる」
というパラダイムを採用しています。
本当に神様はいるのか?
この、
・神様はいる
・神様はいない
という2つ究極の論争。
正直、この論争の結果なんて私にはどっちでもいいです。
仮に世界の誰かによって、「神様がいない」という“人類史上初”の大発見がされたとしても。それはそれで良いと思います。
実際、私は神様をこの目で見たことがないですし、証明しろなんて言われても不可能です。
そもそも、実際に神様がいたとしても、私たち人間には感知できないでしょうし。
だから、私からすると神様がいるかどうか、ど〜っちでもいいんです。
実在した2人の男
ですが、いつもこう考えるんです。
A:神様なんてクダらねぇという生き方
B:神様に生かしてもらっているという生き方
この2つの生き方を考えたときに、自分ならどっちの人がいいかなぁって。
そう考えたら、やっぱり何度考えても、Bの「神様に生かしてもらっている」というパラダイムで生きていきたいって思うんですよ。
例えばこの2つの生き方の人が、街を歩いているとしますよね。
そうしたら、おそらくAさんは平気でポイ捨てしたり、困っている人を無視したり、他の人が困るような行動をするでしょう。
誰かに舌打ちしたり、お店の人にクチ悪く接したり。
でも逆に、Bさんは間違いなくポイ捨てしたら平常心ではいられないだろうし、困っている人がいたら助けるでしょう。
できるだけ周りの人に親切にして、お店の人には心から感謝をして。
どっちの人がいいだろうって考えたら、私はどう考えてもBさんが良いんですよね。そして実際、私はどっちの生き方も
経験してるんですよ。
万引きから始まり。笑
ちっちゃい頃、友達ん地の屋根に登って遠くから人をエアーガンで狙ってみたり。
(マジでクソガキでした。)
バット持って喧嘩してみたり、女の子を使ってお金を稼いでみたり、
10代のまだ免許が取れる前、友達の誰かが盗んできた車を夜な夜な運転してみんなで暴走してみたり。
今まで付き合ってきた彼女にはヒドい言葉をたくさんぶつけてしまったり。
信じてくれる家族やお世話になった人を裏切ってしまったり。
とにかく、数え切れないほどの
「人に非(あら)ず」
な生き方をしてきてしまったからこそ、いま、私は「神様はいる」という考え方、価値観を採用して生きていくことを決めました。
怪しいですし、こんな話をするのもイヤです。
辞めといた方が良いのかもしれません。
ですが、そう考えて生きてみるだけで、本当に心が穏やかになるし、周りの人をもっと大切に思えるようになったんですよ。
話したい人だったら、時間が許す限り気が済むまで話を聞くし。
絡み合う複雑な糸
なんども言うように、私は神様がいるかどうかなんてどっちでもいいんです。
「いる!」って人の味方をするつもりもありません。
ですが、そういう考え方を採用することで、いまよりも世の中の役に立てる人間になろうと努力できるのであります。
私たちが生きていくにはこの地球しかないし、その1つの地球でみんな共存しています。
それはすべての生物もそうですし、私たち人間同士もみんなで1つの宇宙を共有して生きています。
そして、1人1人、全ての生物がそれぞれ固有の振動波(しんどうは)を周りに発したり影響を受けて生きています。
でも、もし私が今までのような考え方のまま生きていってしまったら…。
数え切れないほどの人たちに、とんでもなく迷惑をかけることになります。
もしですよ、私が事故とかで人を殺してしまったとしたら、その影響は1人だけではなく、その家族や親戚、そのまた同僚や友達…
と、数え切れない人たちに悲しい影響を与えることになります。
といっても、いまのは極論ですが、誰かを傷付けることも同じです。
もちろん、100%誰も人を傷つけない、なんてことは不可能ですけどね。
ゆきひろくんの出した答え
人はただ生きているだけで、他の人に迷惑をかけてしまう存在物です。
(人は絶対にこの世に1人“だけ”では生きていけません。)
ですが、“できる限り”でもいいから、周りの人に親切にしたり、この宇宙に対して感謝しながら生きていくことができたなら、もっと意義ある人生にしていける。
こう信じているのであります。
ということで、今回はあまり大きな声で言えないような話をたくさん告白しましたが、これが現在の真(まこと)の私なのであります。
当然ですが、無理に同じような考えになって欲しいなんて、これっぽちも思っていません。
ですが、私だからこそしてきた経験を通して得られた、物の見方、考え方が多くの人の役に立ったらこれ幸いです。
キレイごとですかね?
その判断は、あなたにお任せします。
ただもう1度だけ言わせてください。
これがいまの私です。
それでも仲良くしてくれる方は、今後ともどうぞよろしくお願いします^^
ではでは今日はこの辺で。
本当は、今回の温泉合宿で学んだ催眠や応用などについてお話ししようと思ったのですが、、
また「書きなさい」と降りてきたら、書かせていただこうと思います。笑
こうして、自分の言いたいことを堂々と言えるようになったこの時代、この環境、そして生かしてもらっていることに感謝して。
またね〜!
魅緑の世界を夢見て
西野ゆきひろ
追伸:
写真は合宿で催眠を掛けているところ。
別にヤラしいことしてないですよ。
そして鼻の下伸ばしてないですよ。
ヤメてください。
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西野ゆきひろ
この変わった男を知らない人はこちらのプロフィールを参考にしてください。
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