こんにち和。西野です。
みなさんも良くぼくが、
「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」
という言葉を使っていることをご存知かと思います。
このテーマだけで3日間のセミナーができるくらい、
深すぎる言葉なのですが、非常に簡単に言ってしまえば、
「水のような存在が最上の善ですよ」
ということ。
そして、ぼくは講座でも、
「水は“我”を出さずに、ただ自らを抵抗なく周りに合わせる」
と言っています。
かつてのぼくがそうだったのですが、
どうしても、みんな「もっと俺が!」と欲深く、
人生という『容れ物』と衝突してしまいます。
そして、苦しむのです。
水はコップに入れたら、
なんの抵抗もなくコップの形に身を合わせます。
一方、欲深い人間は、
常に自分の利益を優先し、“そのうえで”
「これなら結果的に、周りにとっても良いじゃん!」
などと後付けをするのです。
これは要するに、自分ではなく、
入るべきコップを好きな形にしようとしているのです。
そうすると、ある一定までは耐えられても、
そのコップは「パリーン!」と割れてしまうのです。
こうして、ぼくはこれまでの人生で、
たくさん失敗を繰り返してきたのです。
例えば、ぼくが風俗店に入店したてのときには、
最初はまだ自分が一番下なので
「周りに迷惑を掛けないように」とか、
「足を引っ張らないようにしなくちゃ」
「もっと仕事を覚えて役に立ちたい」
などと考え、周りに意識を向けられていました。
ですが、自分のポジションが上がっていくにつれ、
どんどん周りよりも、
「他なんていいから俺が1番になってやる」
という恐ろしい『我欲』が湧いてくるのです。
悲しいかな、これが今の世の人間というものです。
すると、お店の売上げよりも、
「いかに自分が楽(得)をするか?」
という考えになっていってしまったのです。
だから1番分かりやすいのが、
例えば女の子が体験入店に来ると、
面接の後に、実際に2人で裸になって「一部始終」を講習します。
(そういうルールのお店でした。)
ですが、ぼくのような我欲の塊は、
自分の好みの女性ではないと、
「俺、ちょっと忙しいから講習しておいて」
と部下にやらせて、逆に自分の好みの女性には、
どんな予定をも差し置いて、講習していたのです。
もう、最低な人間です。クズ野郎です。
我欲が強すぎたのです。
本来、自分よりお店のことを最優先に考えたなら、
自分よりも女性のことを考えたなら、
どんな女性であろうと自分が講習に行くか、
あるいはスキームを作って自分ではなくても
丁寧に講習して、女の子が安心して働き、
「お店の信念」
が浸透するようにすべきです。
ですが、この頃のぼくと言えば、
本当に自分のことしか考えていませんでした。
こんなお店、
売上げが上がるはずもありません。
良くても現状維持です。
(見えない世界では刻々と破滅に向かいます。)
こうやって、ぼくはいかに自分が楽しく、
いかに自分が楽するかばかりを考えていたのです。
その次に、ちょっとお店です。
情けないですが、否定できません。
このように、自分のことばかり考え、
そして「我欲」が強くなればなるほど、
人は水という存在からかけ離れていきます。
そう、自分という存在が第一で、
それから周りを合わせようとするのです。
すると一見、目に見える世界では
周りの人と良好な関係を築けているように見えても、
実は見えない世界では破滅へと向かい、ある日、
「パリーンッ!」
と崩壊するのです。
そう、この世は見える世界だけではないのです。
こういうケースは、
至るところで起こっています。
例えば昔、久々に会った友人が、
「嫁がある日突然、子供を連れて、
荷物ぜんぶ持って逃げ出したんだよ。
マジで、意味が分かんねぇし、あいつ。
こっちはあいつが収入が少なくなっても良いからって
仕事変えて欲しいっつって小遣い我慢して働いて・・・続く」
という話をしていたことがありました。
彼にとって、見える世界では特に変化も
ないように見えたのでしょう。
が、見えない世界では
刻々と破滅に向けて歯車が動いていたのです。
きっと彼(というか彼ら)はお互い、
家族よりも「自分のこと」を優先してしまったのでしょう。
こういうことは、本当にどんな人でも、
犯してしまいやすいです。
例えばぼくは最近、
付き合っていた彼女とお別れしました。
と言っても、喧嘩別れだとか、
仲が悪くなってだとか、そういうものではありません。
そうではなく、今でも非常に仲が良く、
ご飯も一緒に食べたりしているのですが、
「お付き合い」
という関係は終わりにしました。
なぜならお互いが、これからの人生の足を
引っ張ってしまうように感じたからです。
これはきっと、ぼく自身も、
まだまだ我欲があったのでしょう。
ぼくは常日頃から神さんを信仰していて、
毎朝毎晩、浄化だとか祝詞だとかをやっています。
生活もいつも「神さん」と一緒です。
ですが、今の彼女はというと、
新しく流れが変わる節目にいて、
人生も「これから!」という時です。
そしてぼくは、もっと彼女にも
色んな世界を知って欲しいなとも思っていました。
彼女も今まで、大変で辛い世界にいましたから。
そこからやっと、
新しい世界に飛び立つという節目です。
だから、お互いがお互いの可能性を
潰してしまわないように、話し合って、
「カップル」という関係にはピリオドを打ちました。
ですが、きっと人としての付き合いは、
彼女とは一生消えないだろうな、と思います。
それくらい、お互いが精神的に
大きく成長できた存在だからです。
この結論というのはお互いが、
2人のことを考えてのものでした。
彼女とは喧嘩というものを
したこともありませんでした。
何度も何度も、2人がいま考えている
方向性を話し合っていました。
そうしていくうちに、
自然とお互いが自立することになりました。
だからこそ、子供も作りませんでした。
定期的に、ずっと話し合っていくことで、
お互い勝手な方向に暴走しないようにしていたためです。
今回のお付き合いは、
目に見える形としてはお別れになりました。
しかし、見えない精神的な世界では、
素晴らしい関係を築けたなって思えました。
ぼくもまだまだ、完璧には我欲を捨てきり、
純真な「水」にはなれていません。
ですが、そこを目指していくことで、
少しずつ、良い人生へと成長できています。
今までのぼくであれば、ここでまた
すぐにお酒や女性に走っていたと思います。
際どいハイレグやバニーガールのコスプレをした
女の子たちが話し相手になってくれる
イヤラしいお店に飲みに行っていたと思います。
ですが、今はまったくありません。
したいとも思いません。
当時の俺、ほんと何やってたんだろ、
と思えるくらい荒川静香、あ、荒れず静かです。
このような人生の一切は、
すべて神さん、守護神さんが
成長のために与えてくださっているもの。
玉を磨いて、もっと世の中の
お役に立てる火止にしてくださっているもの。
どんな困難があっても、そう考えれば考えられるほど、
ぼくらはより『水』のような存在になれるのかもしれません。
どんな場所に容れられたとしても、
姿形を変えて完全に調和する。
そして、火と水が完全に和合したそのとき、
人は『火水(カミ)』となるのでしょう。
それでは、今日はこの辺で、
お暇を頂きます。
苦楽も八雲 人の道
荒ぶる神も 一柱
福なる神も これ神なりと
分かりしときに 咲く木ノ葉(このは)
神のまにまに 草木のごとし
全ての霊止に 光あれ
ありがとうございました。
弥栄
西野ゆきひろ
追伸:
最近、密かに一人で唄を作って楽しんでいます。笑
追伸2:
ささやかながら、
たま〜にTwitterでつぶやきはじめました。
少しでも読む方が元気になるように呟いています。
良かったら覗いてみてください。
@nishino112:
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西野ゆきひろ
この変わった男を知らない人はこちらのプロフィールを参考にしてください。
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