人生を織りなす「因」と「縁」の物語

 

いやさか!

改めまして、西野です。
 
 
 
 
お釈迦(しゃか)さんはかつて、
 
「一切法は因縁生なり」
(いっさいほうはいんねんしょうなり)
 
という教えを説きました。
 
 
 
「法(ダルマ)」とは、
 
宇宙を司(つかさど)る
 
「真理・法則」
 
のことです。
 
 
 
「宇宙そのもの」
 
とも言えます。
 
 
 
つまり、
 
この宇宙にある一切のものは、
 
「因縁によって生まれる」
 
という意味になります。
 
 
 
では、
 
ボクたちが普段から
 
よくきく「因縁」とは
 
どういう意味でしょうか?
 
 
 
日本では、
 
「因縁」というと
 
悪いイメージを持たれる方も
 
少なくありません。
 
 
 
しかし、
 
このように考えてみてください。
 
 
 
例えば、
 
大地に稲の苗(なえ)を植えるとします。
 
 
 
しかし、
 
苗を田んぼに植えただけで
 
稲穂になるわけではありません。
 
 
 
苗が、立派な稲穂として育つには、
 
そこにお天道様の力も必要ですし、
 
雨つゆの力も必要です。
 
 
 
それら全ての力があって、
 
はじめて、稲穂として
 
みのりをもたらすのです。
 
 
 
ここで、
 
田んぼに苗を植えることが「因」にあたり、
 
お天道様や雨つゆが「縁」となって、
 
稲穂である「果」がみのる、
 
ということです。
 
 
 
つまり、
 
この宇宙における「結果(現象)」は、
 
「因」と「縁」がそろって、
 
はじめて『果』となるのです。
 
 
 
これを
 
〝因縁和合(いんねんわごう)〟
 
と言い、
 
お釈迦さんが
 
〝一切法は因縁生なり〟
 
と説いた意味です。
 
 
 
では、この因縁和合を
 
ボクたちの身近な人生に置き換えるとどうなるか?
 
 
 
神社仏閣で、
 
「よいご縁に恵まれますように」
 
と願かけをする人も多いですよね。
 
 
 
ですが、
 
よきご縁に恵まれたとしても、
 
そのご縁から次の展開へ繋がるとは限りません。
 
 
 
実際に、
 
よきご縁に恵まれておきながら、
 
その事実に気づかず、あるいは、
 
まだ未熟であったばかりに
 
ご縁を潰してしまう、、
 
 
 
なんてことは、
 
ずっと多いのです。
 
 
 
先日も、
 
ゆにわ塾内で開催されたお茶会で、
 
ある一人の女性が、
 
 
 
「実は数年前に『ゆにわ』と
 
 出会っていましたが、
 
 その時は怪しいとしか思えなかったんです。
 
 
 でも、いろんな経験をして、
 
 『ゆにわ』さんが本当は凄いところだと
 
 やっと腑に落ちてここに居られるんです。」
 
 
 
と言っていました。
 
 
 
その話を聞いた
 
他の参加者さんの多くが
 
「うんうん!」
 
と深く共感されていたのです。
 
 
 
こういうことは
 
往々(おうおう)にしてあります。
 
 
 
ボク自身、
 
もし10年前の荒れていたときに
 
『ゆにわ』と出会ったとしても、
 
 
「うわ、胡散クサッ、新興宗教みたいなもんでしょ?」
 
 
なんて、無知によって
 
馬鹿にして笑っていたことでしょう。
 
 
 
まだ心の成長が乏しかったので、
 
そこで学べる「真価」を見定める
 
見識眼(けんしきがん)は
 
持っていませんでした。
 
 
 
言い換えれば、
 
よきご縁(北極流の学び)に恵まれても、
 
それを果(人生に活かすため)に結ぶ
 
因(心の土壌)がなかった、
 
ということです。
 
 
 
つまり、
 
どれだけのビッグチャンスや
 
よきご縁に恵まれたとしても、
 
それを果とならしめるための
 
「因」が必ずなくてはなりません。
 
 
 
稲穂のたとえで言えば、
 
よき土(心)によき種(学び)を植えることです。
 
 
 
普段から少しずつでも
 
よき心を作ることに励んでいれば、
 
よき縁に恵まれたときに果実となるのです。
 
 
 
もちろん、
 
よき心を作ると言っても、
 
なにも難行苦行をしいる必要はありません。
 
 
 
断食、滝行、山ごもり、、
 
それらも必要ありません。
 
 
 
それこそ、
 
1日1語を覚えていけば、
 
一生で2万語を覚えることもできます。
 
 
 
老子のいう、
 
〝千里(せんり)の行(ぎょう)も足下(そっか)より始まる〟
 
です。
 
 
 
千里の道も、
 
今ここからの一歩より始まるのです。
 
 
 
そのよき種こそが、
 
ボクがYouTubeでお伝えしている
 
『ちっちゃな一善』
 
であります。
 
 
 
いつ何時、
 
よき人との出会い、
 
よきご縁や、またとないチャンス
 
が訪れてもいいように今から心を育てていく。
 
 
 
とは言え、
 
 
「それは分かっているし、
 
 努力はしているけれど、
 
 なかなか悪いクセは治せないんです・・」
 
 
ということもあるでしょう。
 
 
 
しかし、大丈夫です。
 
 
 
「少しでも人生をよく生きよう!」
 
という姿勢、
 
心そのものが美しいのです。
 
 
 
そして、
 
その美しい姿を見た周りの人が、
 
あなたに感化され
 
同じく「よい人生を生きよう」と思うのです。
 
 
 
それこそが、
 
徳の高い生き方というものです。
 
 
 
あなたの心の持ち方そのものが、
 
あなたひとりの人生のみならず、
 
多くの人の助けとなるのです。
 
 
 
 
 
それでは、
 
本日もありがとうございました。
 
 
 
イヤサカ
 
西野ゆきひろ