「乱世」の生き方

こんにちは、西野です。

先日、YouTubeのコメントで、
あることを尋ねられました。

お尋ねします、世の中には悪いことをしてても
社会的に成功している方もいて、

善人過ぎて騙されて損をしてる方も居ますが、
それはどういう仕組みなのでしょうか…。

例えば、政治家。
政治は他国との覇権・利権争いなので
汚い部分も沢山ありますし、
名君と言われる人は中々いないですよね。

世の中強かな人の方が
上手く立ち回れているのも事実ですね。

私自身は、大和民族として神道を基礎として
仏教の教えを活かしながら尊重して生きて行きたいです。

ですが、最近前途した部分に疑問が出てきております。

もし機会があればいつか動画で触れていただけたら幸いです。

 

なるほど、おっしゃる通りです。

あなたも、嘘をつくことに罪悪感を感じませんか?

人を騙してまで、相手のお金を奪う。

そんな非道なこと、できるはずがない、
そう思われませんか。

 

もし、あなたが善良な心の持ち主であれば、
もしかしたら、

「バカ正直に生きたところで、損をするだけだ」

そう思ったことはあるかもしれません。

結局、ずる賢いやつがお金持ちになると。

 

かつて、ボクはそう思っていました。

高校二年生になったばかりのころ、
仲間たちと“重傷者”が出るほどの罪を犯し、
友が次々と逮捕されていく中、

ボクは学校から2度目の停学を言い渡され、
学校行事の旅行に行けなくなったことで、

 

「それなら、行ってる意味ねぇーだろ!」
「こんな腐れ学校、辞めてやるよ!」

 

と癇癪(かんしゃく)を起こし、高校を中退しました。

それからすぐに、以前、父に買ってもらっていた
新品のスーツを片手に、単身、東京へ上京しました。

もちろん、資格も、学歴も、コネもなく、
両腕には和彫りが入っている。

そんな人間が行き着く先など、
誰の目から見ても、おおよそ検討がつきます。

そして案の定、裏家業に染まっていきました。

 

偽り、誤魔化し、罪を犯し、
非人道的な方法で、お金を巻き上げていく。

まさに、多くの政治家や権力者が、
行っているのと同じことをしていたのです。

こういったお金や権力という「力」によって、
人より優位に立ち、支配していくは『覇業』の道。

 

戦国の世で、正々堂々と戦うことを王道と呼ぶなら、
相手を出し抜き、汚い手を使ってでも勝ちに行くのは覇道。

 

当時、ボクが上京して関係を深めていったのは、
汚い手を使ってでもお金を稼ぐ人たちでした。

その世界では、いかに罪悪感を持たず、
良心を振り切って悪に染まれるかが、成否を分けます。

いわゆる「お人好し」では、
こき使われて、見下され続けるのです。

バカみたいに、真面目に汗をかいて
稼いだお金なんて所詮「スズメの涙」程度。

いかに、裏をかき、大きな利を得るか。

勝てば官軍、負ければ逆賊。

勝たなければ聖人も賊である。

だからこそ、卑怯者と罵られようとも、
勝たなければならない。

そんな価値観の世界でした。

 

例えば、夜のおねーちゃんのお店に行くと、
高級クラブやVIPルームを利用する人と言えば、
「色(女)」 を使った商売か、詐欺グループの関係者か。

裏カジノの経営者か、
ドラッグビジネスに手を出している人か。

悪徳不動産か、悪徳投資家か。

そんな人ばかりです。

 

そんな世界を、ボクは非情としか思えませんでした。

神様がいるなら、なぜ、
悪いことをしている人が、やすやすと成功し、
快楽をむさぼり、今もな甘い蜜を享受しているのか。

そして、人々の人気者なのか。

一方で、必死に汗をかいて働いても、
少しのお金しか稼げず、さげすまされ、
ひどい扱いを受けなければならないのか。

神様がいるのなら、なぜ・・・?

 

そう疑いたくなるほど、
何度も、この世界の非情を嘆きました。

その結果、

「この世に、神様なんていねぇ。

クソッ、見てろ。

それなら、オレだって非情になって、
人よりも金を稼いで成功して力を手にしてやる!」

そう言って、ダークサイドへ沈んで行きました。

すると、やはり悪の力は強烈で、即効性もあるため、
程なくして多くのお金を稼ぎ、“高級”を享受し、
ボクは世の中を出し抜いて、甘い蜜を舐めるようになっていきました。

 

しかし・・・。

 

実のない「張りぼて」の成功など、
そう長く続くものではありません。

手元には、いくらも残りませんでした。

 

昔から、

「悪銭、身につかず」

とはよく言ったもので、
人は、悪いお金を持っていたくないのです。

無意識に、気持ち悪さを感じてしまうのです。

 

お金には色々なものが乗っているため、
色を使って得たお金というものは、
そこに人々の欲望が乗っているのです。

ですから、その欲望によって得たお金は、
持っているだけで、なぜか欲望に使いたくなってしまう。

それが、多くの成功者が、快楽にふける正体です。

(刺激によって、ごまかそうとするのです。)

 

ですが、そんな生活を続けていても、
息はそう長くは続きません。

人によっては、死に様が悲惨だったりします。

例えば、イングランドのプロサッカーチーム、
「レスター」の会長は、ヘリコプターで墜落し、
死亡しました。

ボクは、そのかたを詳しくは存じ上げませんが、
きっと裏で非道を働いていたのだろうなぁ、という検討はつきます。

 

たとえ、人の目を欺き、
その場はやり過ごせたとしても、
やはり最後には「因果」を受けます。

何かしらの“代償”があるのです。

 

例えば、芸能界で成功すると、
お金持ちの大スターになることができます。

しかし一方で、プライバシーがなくなり、
一挙手一投足、日本中の人たちに監視されます。

そして、多目的トイレで奇行に走りでもしたら、
それこそ、総バッシングを受けることでしょう。

最近の芸能界では、とくに
「天から地へひっくり返る」現象が、
たくさん起きています。

 

それと同じように、
当時、ボクの周りで大金を稼ぎ、
羽振りの良かった人たちのほとんどは、
逮捕され、10年以上の懲役を受けたり、
存在自体を消されたりもしました。

そしてボク自身、
確かに足を洗ったと言えども、
その“代償”はさんざんたるものでした。

23歳で無職のまま1000万円の借金を抱え、
連日、

「ドンドンドンッ!」

と、取り立てに家のドアを叩かれ、
吠え立てようとする愛犬の口を力づくで押さえこみ、
居留守を使ったこともありました。

それはまるで、戦時中、防空壕で
子供が泣き叫ぶのを力づくで押さえるかのように。

(ココ…ごめんね。)

 

お金を借りたところも危険な場所だったので、
命はあって無いようなものでした。

まさに生きた心地がしない、
とは、このこと。

 

ご飯もろくに食べられず、
ゲッソリと痩せ細り、大切な人は
愛犬と共に離れていき、

周りの信用も無くし、
ひとり孤独に生きていく…。

病いにふせて苦しんでいても、
見舞ってくれる人も、頼れる人もいません。

おしりから血を流し、
口からも血を吐いた時には、恐怖のどん底でした。

あれほど、孤独感を味わったことはありません。

起き上がることもできず、
真っ暗な狭い部屋で、ただひとり苦しむ。

 

そのころは、いっそ死んでしまったほうが楽だ、
とまで考えていました。

もう、生きていること自体が、苦しかったのです。

 

そういう経験をして初めて、
ボクは自分がしてきたことを、心から後悔しました。

 

確かに、うまく出し抜いて、より多くのお金を稼げたものの、
その後の代償が悲惨すぎる。

ましてや、稼いで快楽にふけっている最中でも、
心は決して、休まらない。

いつも何かを恐れ、何かから逃げ、
得体の知れない何かと戦っている。

 

そんな「見せかけの成功」に、
真のしあわせなど存在しません。

 

真のしあわせとは本来、
『心の平穏』があって、初めて感じ得るものです。

いくら刺激や快楽のエクスタシーでごまかそうとも、
安らぎのないところに『至福』は存在しないのです。

 

そうしてボクは、暗闇のどん底に沈みきったとき、
やっと決意したのです。

「もう、そんな生き方は二度としまいぞ。」

と。

こんな苦しみは2度と味わいたくない。

アンジャッシュ渡部氏や宮迫氏だって、
血の底に落ちぶれたとき、そう思ったことでしょう。

人はおうおうにして、痛い思いをして初めて学ぶ。

 

そうして、ボクはあることを悟りました。

『天は、塵ひとつ、決して見逃しはしない。
神の帳簿に、一銭の狂いもなし。』

と。

 

たとえ、人の目を誤魔化せたとしても、
天はいつだって見ている。

トイレの中でも、お風呂の中でも、
誰も見ていない場所であろうとも、
すべてはこの宇宙の中。

あなたの心の中。

常に、見られているのです。

 

あなたが人知れず損をして、
誰かを助けたことも、

あなたの報われなかった努力も、
だれかれの悪事も、何もかも、天は見ているのです。

ただ、その因果の現れが、
早いか遅いかの違いだけなのです。

 

パチンコで勝てば、
お金はすぐに入ってきます。

が、所詮は微々たるもの。

一方、時間をかけて、
投資をし続けて、資産を増やしていくなら、
それは盤石な礎(いしずえ)となります。

長い時間をかけて続けてきたものは、
必ず自分の身になります。

 

つまり、早いか遅いかの違いなのです。

 

さて、ここで最初の問いに戻りますが、

たしかに、この世界は良い人が損をし、
悪さをしている人がうまい思いをする、
そんな例が多いことは事実です。

しかし、それは今という時代が、
「乱世」に他ならないからです。

それはまるで戦国時代、
各国の大名が、利得名声を我がものにせんと、
群雄割拠していたときのように。

人々は自分の利を第一とし、
仁義を捨て、徳など無きものとする。

まさに今、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、
つまり悪が、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している世の中です。

 

この日本は一見、平和に見えています。

しかし、現在ボクたちは、
まぎれもなく「乱世」に生きているのです。

だからこそ、堂々と悪に立ち向かい、
決して負けない強さが必要なのです。

ただ、お人好しで騙され、泣きわめくのではなく、
悪の力すらも利用して、徹底して善を貫いていく。

それが、

悪にも負けない善の道。

 

ボクは師匠、北極老人に、
そう生きる道を教わりました。

かの孔子が言っていた、

「悪に報いるには正義をもってし、
善に報いるには善をもってする」

そのように生きていく。

かつて、中国が三分され、
賊がはびこる戦国の乱世に、
おのれの命すらもかえりみず、
仁義を貫いて名声を得た劉備(りゅうび)玄徳(げんとく)のように。

 

力と恐怖で押さえ、支配する覇道ではなく、
徳をもって感化し、人心を得る真の王道。

 

一生の友を作り、善を貫きながら、
人心を得て、たくさんお金を稼ぎ、
その偉大なる徳によって人々を、世の中を感化していく。

 

悪が力を持つこの現代の乱世で、
人々の心に平穏をもたらし、草木、虫、動植物に至るまで、
みんなが福音に浸り、歓喜の渦に包まれる地上天国となりますように。

そんなことを、本気で目指しています。

 

そのために、微力ではありますが、
こうして声を大にして、メルマガやYouTubeを使って活動しています。

そして、ボクはこの活動を、
もっと広げて、たくさんの仲間を作っていきたいと思っています。

 

覇道ではなく王道を。

いえ、永遠に沈まない大道を。

 

もちろん、これが綺麗事だとは、百も承知です。

されど、むかし自分自身が悪に染まり、
深い苦しみの底を経験したからこそ、
ボクはバカ正直に、アホみたいな綺麗事を貫いていきたい。

 

多くの人に笑われ、罵られようとも、
バカ正直に生きて、「真の豊かさとは何か」を広げていきたい。

あなたにも、そんな仲間、
そんな友になっていただけたら嬉しいです。

だからこそ、みんなで
悪にも負けない強い心と能力を磨いていくことが不可欠。

 

なので、このメルマガでは、
そんな「強い心」を作りながらおのれを磨き、

『人生における真の成功』

を実現するためのお話をしていきます。

読むたびに心は磨かれ、御霊(みたま)が輝き、
真に目覚めた熱い人生になっていくことをお約束します。

 

ということで、
今日はそろそろ、終わりにしたいと思います。

またメールしますね。

それでは、最後までお読みいただき
ありがとうございました。

 

弥栄

西野ゆきひろ

 

今日の一首

世の乱れ 憂う心に火を灯し まことの友と出会う喜び」 − 愉氣