【清心洞察記 .1】何のために?

 

『清心洞察記』とは

これから、少しでも時間が出来た時に、

まるで自分のメモ書きのように、

心を清めていくための観察、問答、洞察、を

あるがまま、歯に衣着せず、自然に任せて書き記していこうと思う。

 

あくまで、自分のメモや日記のような立ち位置で、

それを他の人も読める、というようなものであるため、

敬は省略してあることを、予め記しておく。

 

 

今日、こんなメッセージを頂いた。

 

夜分遅くに失礼します。

初めてLINEします。

 

こういうことを発信していいのか悩みましたが、

素直な気持ちなので伝えます。

 

ライブの時思い切ってチャットしました。

話しかけても何も返って来ず、疎外感を持ちました。

いわゆるチーム一善の皆様はとても絆が強いと感じましたが、

ゆにわ塾受講者の皆さまですが(?)

 

分からないなりに、

素直な気持ちで送ってくれたことが嬉しい。

 

彼女は、きっとこの一言を送るだけでも、

相当の勇気を要しただろう。

 

しかし、この「勇気」こそが、

人生を前進させるエンジンのようなものである。

 

人と云うのは、いくら頭でこねくり回したとて、

みずから身を以(もっ)て体感したことでない限り、

真の意味で、それを会得(えとく)することはできない。

 

「勇」は大事なエネルギーであり、

この徳目を少しずつ育てていくことが肝要。

 

勇を持って行動することで、

結果はどうなるかは分からない。

 

上手くいくかもしれない。

はたまた、失敗するかもしれない。

 

何かを言うことで、

褒められるかもしれない。

 

あるいは、叱られるかもしれない。

 

そんなもの、やってみないと分からない。

 

もしかしたら、何かを発言することで、

喜ばれるかもしれない。

 

でも、受け入れてもらえないかもしれない。

 

はたまた、無視されるかもしれない。

 

とは言いながら、ただ単純に、

誰も何も気にしていないのに、

自分で勝手にクヨクヨ気にしている場合がほとんどである。

 

自分磨きがまだ最初の段階のとき、

人はまだまだ、自分が人からどう見られるか、

ばかりを気にしてしまうことが多い。

 

こんなこと言ったら、

怒られるんじゃないか。

 

こんなこと言ったら、

嫌われるんじゃないか。

 

こんなこと言っても、

無視されるだけなんじゃないか。

 

だけど、これらはぜーんぶ、単なる自意識。

 

自分がどう見られるか。

自分が受け入れてもらえるか。

自分が評価してもらえるか。

自分が好いてもらえるか。

 

自分が、自分が、自分が・・・

 

「自分」の虜である。

 

今回、冒頭のメッセージをくれた女性は、

勇気を出してまた一歩を踏み出したからこそ、

そのエネルギーに呼応してお返しをしたいと思う。

 

まさに、その「疎外感を感じました」

というものこそ、自意識である。

 

話しかけても返ってこなかったのは、

誰一人として「わざと」ではない。

 

意図的に返ってこなかったのではない。

 

たまたま、話の流れで返ってこなかっただけに過ぎない。

 

そもそも、あなたは返事をしてもらうために、

コメントを投稿したのだろうか?

 

もし、誰からも反応がなく落ち込んだとしたら、

あなたは、ただ自分のために、そのコメントを

発言したことになる。

 

かまって欲しい、私を見て欲しい。

エネルギーが欲しい。

 

そうやって、無意識に

取りに行ってしまったことになる。

 

今、あなたは勇気を振り絞って、

大きな一歩を踏み出した。

 

だからこそ、もう次の段階に行って欲しい。

 

誰かに返事をしてもらって、

かまってもらうためにコメントするのではなく、

 

ただ純粋に、我が子を愛する慈母のように、

その場に集まる人たちを愛し、良くなって欲しいと願い、

何かを発言する。発信する。

 

その愛に没我していく。

自分のことは忘れていく。

 

「みんなが笑顔になってほしい」

 

という言葉も、一見、素晴らしく思える。

 

しかし、一歩間違えたら、

ただの自意識になる。

 

笑ってもらうことで、

「面白い自分」に浸るのだ。

 

とにかく、純粋な愛というものは、

本来、何も見返りを求めないところにある。

 

自然の父母がそうであるように。

 

施しをすることで、

文句を言われることがあったとしても、

 

どんな善人や悪人にも、

変わらず日と雨の恵みを与えてくださる。

 

見返りを要求することなく。

 

大丈夫。

 

あなたは生まれながらに、

すでに愛されている。

 

たまたま、返事が無かろうと、

あなたは愛されているから、

すでにそこにいられるのである。

 

ちっちゃな一善は、基本的には、

どんな人でもウェルカムである。

 

ただ、場を掻き乱すような人は、

もう一度、お出直ししてもらうつもりでいる。

 

じゃないと、その人にとって、

大きなカルマにもなる。

 

ちっちゃな一善は、ある意味、

侵してはならぬ神聖な場である。

 

決して、汚すことは許されない。

 

神聖なる場所に対して、

礼儀礼節も尽くさず、土足で荒らすなど言語道断。

 

バチが当たる。

 

もちろん、だからと言って、

変に気を張る場所でもない。

 

そこに礼節さえわきまえておれば、

あとは自由だ。

 

ちっちゃな一善は、

そうやって出来ている場でもある。

 

初めから、何か見返りを求める場所ではなく、

みなで、それぞれが手土産(手土産やEg)を持ち寄って

直会(なおら)う場である。

 

かつての聖者は言う。

 

「現実世界で、どんなに小さな事柄でも、

そこに一心を尽くせば、万巻の書を超えた悟りが得られる」

 

そうでありたい。

 

 

本日は20時30分〜放送開始

西野ゆきひろ

 

 

 

 

みんなにも教えて喜ばせてあげよう!