日本人の「禅」と心の掃除

〜こういう人があなたを苦しめる〜

こんにちは、西野です。
   
あなたは、最後に掃除したのはいつですか?
 
一昨日までのプーケットやグアムでもそうだし、温泉とか日本のホテルでもそうなのですが、最近、私は『掃除』にハマっています。
 
ハマっているというか、心がけるようにしています。
 
というのも、宿泊先ではハウスクリーニングサービスがあるので、現地の人が掃除をしてくれます。毎日シーツも変えてくれて、お風呂も洗剤でゴシゴシと掃除をしてくれます。なので、自分が掃除をしなくても部屋中の何もかもを綺麗にしてくれます。
 
ですが、たった1つだけ、洗ってくれない場所があります。
 
それが『心』です。
 
いくら部屋の掃除やベッドをピカピカにしてくれたとしても、自分の『心の中』は洗ってはくれません。だからこそ、私は自分自身で部屋を綺麗に使おうと心がけています。
 
出来るだけ使った物は元に戻します。ドライヤーも、使ったら毎回、袋に入れ直して元に戻します。
 
洗面所は、使ったらタオルで拭いて、出来るだけ掃除してくれる人の仕事が少なくなるようにしています。なので、ルームサービスで頼んだ食事も、食べ終わったらお皿を洗って端っこに置いておきました。
 
本来なら、食べた物なんてそのまま「ほっぽっとけ」ば後で綺麗にしてくれます。ですが、そういう1つ1つの行動で自分の心を整えています。
 
昔から古神道や仏教(仏法)が根強い国の日本人は、掃除を大切にしてきました。お寺とかの泊まり込みをすると、朝は雑巾掛けから始まったりします。
 
他の人でも出来ることですが、それを敢えて自分で行っていく。こうすることで、昔から日本人は自分の精神性を向上させてきたのです。
 
日本という国は、小さな島にも関わらず、とにかく「精神性」が高い国でした。これを「霊性」と言うのですが、別の言い方で表現するなら「思考のレベルが高い」ということです。
 
世界の人たちは、日本の「禅」や精神性について特に強い関心を持ってきました。
 
有名なのは、スティーブ・ジョブズが愛読したと言われるオイゲン・ヘリゲルというドイツの哲学者が「禅」などの日本文化に魅了されていたことです。
 
鎌倉とか神社などに行けば分かりますが、ほとんどが外国人観光客です。
 
それくらい、外国人にとって日本の古代からの文化というのは素晴らしく関心の高い物なのです(現在の若い日本人は、ほとんど忘れ去ってしまっていますが)。
 
その日本文化の中心核と言っても過言ではないのが「掃除」です。
 
昔から、お寺や神社もそうですし、「掃除をする」ことに重きを置いていました。掃除をすることで、自分の精神を磨いていくわけです。
 
海外に行くといつも思うのが、「日本の街は本当に綺麗だ」ということです。色々と整備されているし、そもそも日本人自体が綺麗好きです(自分でやるかどうかは別として)。
 
この「掃除」というのは、心の乱れを整えていく行(ぎょう)です。
 
「心の乱れって何ですか?」
 
っていうと、例えば「暴力的な性格」というのは心が荒れている状態です。台風がすぐ近くまで来ていて、大荒れしている海を想像してください。
 
「ゴゴーンッ」と巨大な雷が鳴り響き、「ザーザー」と激しく肌を打ち付ける雨、捕まっていないと吹き飛ばされて死んでしまうほどの波、、
 
この状態というのが「心の乱れ」の状態です。
 
怒りっぽくなったり、愚痴っぽくなったり、感情の起伏が激しくなったり、そういう状態のときはまさに「心が乱れている」と言えます。
 
昔から私は心が乱れやすく、短気を起こして数々の失敗をしてきました。
 
私の弱点は「短気」です。キレてしまうのです。
 
そうして、あらゆる大切な物を失う、という失敗を、この人生を通して何度も繰り返してきました。だからこそ、同じ失敗をしないように、自分の心の乱れを抑えて、優しい波で船旅が心地よくなる心の状態を作るよう努めています。
 
もし自分が愚痴っぽくなったり、面倒臭がる回数が増えてきたときには、「あ、心が荒れてきたな」と判断するようにしています。
 
そしてそういう時は、ろうそくをジッと見つめて意識を静かに集中させます。宿泊先でも、部屋でろうそくを付けて静かに意識を集中させていました。
 
そしてこの「掃除」というのも、荒れた心や精神を整えてくれる大事な行です。
 
ウヤウヤと悩んで落ち込んだり、誰かを妬(ねた)んだり僻(ひが)んだりそういうときこそ乱れている時です。
 
心が乱れていると、人間関係も悪くなります。夫婦だったら喧嘩をしたり、周りの人に対して攻撃的になったり必要以上に対抗心を持って険悪になったり。
 
それは当然のことで、荒れている時は荒れた影響を発するので、トゲが立ったり揉め事の原因になったりします。
 
分かりやすい例で言えば、仕事行く前に大きな夫婦喧嘩して、そのまま職場に出勤する。そうなると、確実に心が乱れ荒れているので職場自体に悪い影響を与えることになります。
 
些細なことで傷ついたり、何もかもが嫌になったり、今まで気に食わなかった人にブチ切れてしまったり。。間違いなく、そういう可能性が高いです。
 
ですが、その反対に静かで心地よい状態だとどうでしょう。
 
自分と全く関係のない赤の他人や自分より年下や部下、店員さんに対しても、優しく接してあげることができます。
 
心が乱れている状態では、自分のことにしか目が行かなくなります。自分しか興味がないというか、周りの人の心に気遣いが出来なくなるわけですね。
 
「周りの人を自分に合わせようとする」わけです。
 
これ、荒れている時はほとんどの人がやってしまうことです。
 
例えば病気になったり気が弱っていると心が荒れやすくなります。なので、急に寂しくなったり
看病してもらったり、「誰かに構ってほしい」と思うようになります。
 
荒れているときの“あるある”です。
 
でも、心の波が穏やかな状態のときほど、周りの人に優しく出来るようになります。
 
例えば、街で困っている人を見かけたら、声を掛けてあげる余裕が生まれます。また、他の知らない人たちに対して親切に接することが出来るようになります。
 
私は今年、箱根神社でおみくじを引いたのですが、そのときに書かれていた言葉が本当に「ガツン!」と響いたんです。それがこちらです。
 
===============
留まり続けるも縁
離れるもまた縁である
 
ただの一度話した縁にも
誠を尽くしてみよ
===============
  
この言葉には衝撃を受けました。
 
例えばタクシーの運転手さん、宿泊先のスタッフさん、掃除の人、空港の荷物検査の人、パスポートチェックの人、道ですれ違う人、、
 
そういう「その瞬間しか出会わない人」との縁にも誠を尽くす。この言葉は本当に奥が深いです。私は今年のスローガンになりそうなレベルで、この言葉に大きな影響を受けました。
 
「誠を尽くす」という言葉は、とても深い意味が含まれています。が、分かりやすく言えば「心から親切にする」ことも誠を尽くすことの一つです。
 
笑顔で挨拶をしたり、お礼を言ったり。
 
でも、そうやって知らない人にすら誠を尽くすためには、やっぱり心が乱れていたら不可能です。睨みを利かしてしまったり、挨拶をしなくなったり。
 
だからこそ、私はなるべくなるべく、心の乱れを整えるようにしています。その一つが「掃除・整頓」です。
 
今までの私は、使ったら使いっぱなし、片付けなんてするような人間ではありませんでした。お金を払って部屋を掃除してもらったり、本当に掃除なんて半年以上もしない、なんてことも当たり前にありました。
 
とにかくヤバかったです。
 
でもそういうときほど、心が乱れていたときでした。色々と良くないことや自分で納得出来ないことをしていると、心がどんどん乱れていきます。
 
全く何にも思わないサイコパスは別ですが、大抵の人は、例え犯罪ではなかったとしても道徳に反する行動をすると乱れます。
 
例えば、あなたが明日、誰かを殺してしまったとします。そうしたら間違いなく、その後はずっと心が乱れるでしょう。まして、逃げてしまったりしたら乱れるどころの騒ぎではありません。
 
そんな状態で、周りの見ず知らずの人に心から親切になんて出来るはずがありませんよね。そういう時ほど、のんきに掃除なんて出来ません。もう、「いつ捕まるのか」とかビクビクそういう状態が続いてついには精神的にキチガイになってしまいます。
 
今のはあくまでも極論ですが、私たちは知らず知らずのうちに、心が乱れていきます。誰かから悪口を聞いたり、イライラしている人たちと接してそれが伝染したり。
 
気付かなかったとしても、普段から生活していて色んな人と関わり、少しずつ心が乱れていきます。
 
そして、心が乱れている状態のときほど、自分の部屋やPCのデスクトップが汚くなっていきます。余裕がなくなるからです。
 
だから、私も何ヶ月と掃除をしなかったり、という状態でした。
 
長く付き合った彼女とお別れしたときは本当にもう、心が荒れていましたね。
 
「別になんともないけど」
 
なんて自分で思っていても、実はメチャクチャ心が乱れていました。毎日、お酒を飲むようになったり、ハチャメチャ飲んで遊んだり。
 
たまになら良いのですが、それがデフォルトになっていたのです。
 
掃除なんてしなかったし、周りの人に親切にしようなんて発想すらなかったですよ。自分のことだけで精一杯。周りの人に気を配る余裕なんて無くなっていました。
 
「荒れる」とはこういう状態です。
 
そして私は先ほども言った通り、昔から短期で荒れやすい性質でした。これはもう、自覚しています。だからこそ、普段から毎日少しずつでも心を整えるようにしています。
 
朝にお茶を淹れたり、床を拭き掃除したり。話す人には笑顔で気持ち良く接したり。
 
まだまだ完璧ではないですが、「誠を尽くす」ように意識して生活するようになりました。
 
本当に、28年間生きてきて、やっと自分の心の中を見つめ始めた
という感じです。
 
最近、学校の先生をやられている方からメールを頂いています。学校の先生は特に変化を理解しやすいんじゃないかなと思います。だって、毎日生徒たちを相手にして、その教室をまとめる役割なわけです。
 
もし私が先生だったら、本当にダイレクトにその教室に影響を与えてしまうと思います。荒れているときも、静かなときも。
 
そしてもし、心が穏やかな状態で、生徒たちに接してあげ続けることができたら、、
 
つまり、良い気やエネルギーを発することができるようになったら、間違いなく、子供達やその子供達の家族にも良い影響を与えられるようになります。
 
そういうメールを頂いていて、私は密かに嬉しい気持ちになっています。
 
私の心が穏やかになることで、他の人も穏やかになっていく。これほど素晴らしいことはありません。
 
とはいえ、まだまだ私もすぐに荒れてしまうことは否定できません。だからこそ、こまめに雑巾で床を拭いたり、使った場所を綺麗にしたりして、整えるように努めています。より一つ、人間的成長が出来るように。
 
それでは最後に質問させてください。
 
あなたの心は荒れていませんか?
 
あなたの心が穏やかになるように。
 
西野之啓
 
追伸:
 
今日はこれから福岡です。
 
その次の日は大阪と、、。
 
名古屋の直後にプーケットいったり、その後すぐに福岡・大阪とバタバタしていますが、そんな荒れやすい中でも、心の掃除を心掛けて行こうと思います。
 
良いゴールデンウィークを!